近くのスーパーでの買ってきた

ひともじ ・・・ という
関東で言う "わけぎ" かな・・ ?
昔、家の裏庭 (ていうか畑みたいな・・) に植えていた
おつけ (味噌汁のこと) や うどん汁の薬味に欠かせない
魚の "このしろ" を関東では "キハダ" というし・・
ま いいっか
熊本の繁華街といえば、まず下通り

つづいて、上通り 夜9時過ぎなので人影はまばら

この2つのアーケード商店街が出会うところ、熊本市の顔といえる手取本町 市電と熊本城も一緒に撮れるのでTV画面によく出てくる

夜の繁華街といえば・・・上通り、下通りに櫛の歯のように繋がる飲み屋街・・

こういった通りが数十はある・・

熊本は人口に比べて飲み屋の数がやたら多い気がする
森進一の盛り場ブルースに熊本があったとしたら たぶん最後は・・
栄 銀杏 新市街 ~ ♪ となるな・・
お、府中の薄汚れた店から始まった"ドンキホーテ"が熊本にもあったか・・

うれしかったのは、昔からの桶屋が一等地にがんばって残っていたこと・・

つづく
江戸の昔から、肥後の粋人に愛され育てられてきた " 肥後つばき "

特徴は、一重のはなびらと おしべの形

まさに 芸術作品
ところで、この花(葉?)の名前を知っている人は教えてください・・

家の庭に生えていた・・ 最初、雑草のクローバーかな? と
でも それにしては 手の平くらいの大きさの葉があるし・・
熊本は、市の歌にもあるように「森の都」と呼ばれている
確かに今でも花岡山から眺めると、
熊本城から立田山までの緑が市内を埋め尽くしており、
周囲の田園地帯と阿蘇くじゅうの山並みが・・・緑 緑 緑

そしてなんといっても熊本城の「くすのき」がすばらしい・・ !!
加藤清正の頃からの大楠が、城内、城外 いたるところに・・・
主観的 かつ独断と偏見をもって、熊本名物の甘味を紹介する
第一位 蜂楽饅頭 (ほうらくまんじゅう)

現在は九州一円に支店があるが、本場 熊本市の蜂楽饅頭がなんといっても一番
高校時代は学校帰りに、上通りの店で、10~15 個ぐらい食べていた記憶がある
外観は、いわゆる関東で言う"今川焼き"であるが、ここのはよそと違って
蜂蜜入りの皮が実においしい・・ !! もちろん 大豆とトロプスンの餡も ・・
第二位 おふくろ万十

店は、熊本市と宇土市の境の田園地帯の国道沿いにある
蜂楽饅頭と味も形もほとんど同じ、ただし 遠くからわざわざ車で買いに来るファン
が多く、午前中3時間くらいでいつも売り切れる
第三位 いきなり団子 (いきなっだご)

本来は、さつまいもを小麦粉ペーストで巻いて、蒸したもの
昔は少し餡を入れた子供向けのものと、代用食としての餡なしのものがあった
空港で食べた最近版は、小麦粉ペーストでなく 白玉粉の生地で、餡がたっぷり、
大福みたいに上品で美味かった
第四位 朝鮮飴
清正時代、兵糧食として始まった餅飴
実家の隣に製造会社の社長さんが住んでいた縁で ここに掲載
こちらでは、関東で言う"今川焼き"を "回転焼き" という
ペコちゃん焼き、もみじ饅頭、人形焼 等もこの発展形と思われる
"鯛焼き"とかにするより シンプルな円形の方が 味優先で私は好きだ
小学生の頃、回転焼きを作る機械が面白くて、一日中 店の前で眺めていた
ただ 途中の餡を置くときは、人の手でやってたな~
ひっくり返すとことか、最後に焼印を押すとこ なんて
これこそ なんとすばらしいオートメーション設備なんだ・・・ !!
この頃から、もう理系の道を歩んでいた ・・・

これまで、様々な地方の様々なラーメンを食べたが、
私が本当に美味いと思ったのは やはり地元のこの熊本ラーメンだった
ということを 改めて認識した
但し、このブログの読者に 美味いから食べなさい という気はさらさらない
ラーメンは、当地の歴史や食べる人の習慣など多様な要素が組み合わさっている
従って、どんなラーメンでも、絶対的にうまい・まずいということはない
要は 自分が美味いと思うのが一番美味いのだ
ここは、昔の大洋デパート跡 Daiei 7階 ラーメン村
あの時の火災に思いを馳せながら・・・・ 合掌
5月10日から熊本の慈恵病院の「赤ちゃんポスト」の運用が始まる
しかし、マスコミにこれだけ取り上げられると はたしてポストを利用する人がいるだろうか なんて余計な心配をしたくなる
写真を撮られて週刊誌やワイドショーの記事になったり、逆に目立ちたがり屋が、売名に利用したりとか・・
そこで、近所に住んでいるというよしみで 真面目に利用したいという人のために、慈恵病院への行き方を教授したい
(利用することがはたして真面目にあたるかは別途議論するとして)
周囲の状況

仏舎利塔のある花岡山から見た写真で 中央にある高校より右上へ200m位いった所が病院 この付近は住宅地と商業地が閑散と混じった地域
行く時間
人目を避けるには夜中が良いと思われるが、現場の雰囲気から夜はかえって目立ち、パパラッチの餌食になる 産婦人科もある総合病院なので昼間大勢の人が出入りしている時間帯のほうが良い
熊本駅、交通センターからだと まず 市電またはタクシーで段山(だにやま)電停あたりまで行く

この付近の電柱にはほとんど行き方が表示してあるのでこれに従って歩いていく

やがてよく見る建物に行き着く ポストは玄関正面を右の方へまわった所にある

こういった記事を書くこと自体が不謹慎だとクレームがつくかもしれない
しかし、切羽詰った状況の人には少しでも手を伸ばしてあげたい・・
現場の表示にもあるように、本来 育児放棄の解決にはいろいろ方法がある
マスコミにもてはやされない地味な方法である

"こえつぼ" と言うところもある
「こえ」とは 人糞を肥料とする すなわち下肥(しもごえ)のことである
50年前はこの付近一面 田んぼ[たんなか]と畑だったので 下肥を蓄えているところがあちこちにあった
今や保存文化財になってもおかしくないこの"こえたご跡"が残っているのを近くで発見した
そこは 地下水がじわじわ滲みだしていた所で 水溜り[じゅったんぼ]も多かったが 現在はアスファルトの道路で車も頻繁に通っている
[ ] は熊本弁

今は土で埋もれているが 外観は現役の頃とほとんど変わっていない
水洗でない昔の人糞は 粘度が高く しばらく溜めておくと表面にゴワゴワの層が出来て 子供くらいが乗っても大丈夫だった
ただ 車とすれ違う時の自転車の人が止まって足を着いた時 ズボッとはまったのを見たことはある
あれは小学校2年のころであったかな・・
最後に想い出の童謡あたりで締めくくりたかったが
ふさわしい曲名がでてこない・・・・
町内に小さな醤油醸造所がある
そこの売りが 卵かけご飯専用の醤油

場所は鹿児島本線島崎町の踏み切り近く 宣伝の旗がたなびいている

製品は こんなもの 昆布だしが入ってて冷奴などにも美味しいそうだ
ちなみに G3流おいしい冷奴の作り方
豆腐は絹でも木綿でもお好みだが よく冷やす
ごま油を一滴たらし すり生姜少々、粉かつおぶし少々
薬味としては きざみおおば 小ねぎ 山椒の葉などどれかを少々
食べる直前にこの卵ごはん醤油を上品にかける
この醤油は東京でも地方特産品売り場で見かけるので 興味のある方は一度お試しください
熊本市の礎を築いた 加藤清正 の菩提寺である本妙寺を訪れる

慈恵病院の裏あたりから歩きはじめる
本妙寺下のささやかな商店街を過ぎ、階段を登ると立派な門がある

本堂の門かと思いきや、ここから参道が始まる 両側はお寺さん風建物が・

これが延々と続く 坂も急になる 振り返ると眺めが良い こりゃ完全に山登りだ

大汗かいてやっと本堂らしきところに着く

この廊が加藤清正のお墓らしい 合掌・・!

しかし本堂の裏からさらに階段が続く 上には銅像があるそうだが サンダルでは もうGive-up

"熊本城と対峙する場所に"という清正の遺言どおり 本堂から熊本市の眺めが良い

後の藩主である細川家の菩提寺がある立田山も良く見える

巨人軍の川上哲治と一緒に捕手をやっていた吉原選手もここに眠る
感想
お城の規模も大きいがお墓の規模もとてつもなく大きい・・!!
熊本市に居るからには ほとんど市民の義務として
金峰山には登らなくてはならないのだ・・!

自宅から はるかに遠い 標高666m
しかし 昔登った道を探して登ることにした

10分で登山口の"めがね橋" 数年前にリニューアルしたようだ
古い橋の橋脚には空間があって 小学生の頃そこに入ってよく遊んでいた
今みると20m近く高さがあって怖い よくやったものだ

登山口あたりはずいぶん開けていた
昔はうっそうとした森に覆われ
昭和30年にあの電柱の所の木で首吊り自殺があったのを
古い人なら誰でも知っている

以前の広大なみかん畑はすべて墓地になっていた

昔通った道の雰囲気が残っているとほっとする

この付近全山が竹林
独特の空気が漂っている
筍はいくら採っても採りきれないと思われる

一時間歩いてやっと金峰山の本峰が近くなってきた

この石は、昔は登山道の横からドンと突き出していて"カバ石" と呼ばれていた
道を広げるために取り除こうとしたが、多分なにか"たたり" でもあったのではなかろうか 脇に置かれていた
近くに小さな祠が建てられていた

2時間歩いて振り返ると、もう標高は花岡山よりも高い
あの麓からずーっと歩いてきたのだ

ほどなく金峰山本峰の脇の"大将陣" に着く
ここにある農家
これは40年前と全く変わっていない
ここまで登山というより"さろきんぐ" に近い
今日は頂上からの景色も良さそうだ
つづく
家からも見えた 頂上直下のTVアンテナ群

頂上ではまず御参り 5000回以上御参りした人もいるようだ

東方のながめ 熊本市全域、九州山地 晴れすぎて景色が白っぽい

少しアップにしてみる 熊本城 立田山 熊本空港 阿蘇山 雪の久住山

南方の眺め 坪井川 白川 緑川 市房山 八代海 はるかに霧島連山

南南西には有明海が 熊本港 三角半島 天草の山々

西にどっしりと 島原の雲仙

NHKはここでも一等地を占めている

アップにすると普賢岳の噴火跡が荒々しい

山に対峙しておにぎりをほうばる ん~ ぜーたく・・

"お~いお茶" がおいしいんだ また・・
いつまで見ていても飽きない・・・・
金峰山に登った帰り、今は " 熊本名物 " になったらしい
だご汁を食する

昔は代用食(お米を節約するため他の穀類を主食として使う)として
まずいものの代名詞の記憶がある
家ではしょっちゅう食べていた(食べさせられれていた)が
売り物としてのだご汁を食べるのは初めてである

予想通り 昔と違って うまい !
味は お雑煮とほうとうをMIXした様な感じである
下通りは熊本市の中心に位置する繁華街

休日は若者で一杯

ジャズの生演奏なども聞こえてくる

そのまた中心の鶴屋デパート裏に小泉八雲旧邸が保存されてある

八雲もまた漱石と同様 五高の先生であった

下通りの裏 駕町(かごまち)通りなんて おくゆかしい

ゴルフの彼女は地元での初優勝を狙う
がんばれ~ (実はこの時優勝した 6/24はPオフで惜しかったが・)
不動裕里など熊本出身には実力派が多い
話題性には 他の若い子にちょと及ばないが・・
とにかく がんばれ~
いつもこの時期は 集中豪雨のニュースが喧しい
記録的な雨があったのは この付近

熊本の 三里町 宇城地域 緑川流域 (金峰山より)

熊本市の清流 白川も 増水していることだろう
被害に遭われた方には 心からお見舞い申し上げます
選挙前の候補者みたいな言い方なんで 私流の応援・・・
今でも覚えている 熊本市の歌 大声で歌いまーす
霊峰 阿蘇を はるかに望み
水 白川の 流れに沿いて
天下に名だたる 五条の都
われらの都 大熊本市
熊本出身の総理大臣 細川さんは 人気がないわけでもなかったのに
あっさりと総理を辞任し 最近は議員も辞めて悠々自適・・
同じく熊本の 元農林水産大臣 松岡さんにしたって
何も命まで絶つことはなかったろうに・・
私も 50そこそこで何も会社辞めなくても・・ と 以前言われた
各人 いろいろ事情はあったと思うが
たぶん 最後は
"えーも さいさい" の気持ちではなかったか

実家の近くの ご存知 熊本城

高さ 五間 幅 百一間 の立派な石垣がある

昔 追っ手におわれた盗っ人が "えーも さいさい"
と言って後ろ向きに飛び降りた と伝えられている

熊本人のいさぎよい(よすぎる!)気質をよく表しているので 名所になったと思う

近くの 刑部邸 ここは普通の侍屋敷跡


この木たちは はたして この物語を見ていただろうか・・
高校野球は ひょいと見だすと 離れられない 最後までTVを見てしまう
実は 私の出身高校は 甲子園で優勝したことがある
熊本県では 甲子園の優勝は春夏含めて 昭和33年の春 一回だけである

なんといっても 伝統的に強いのは 熊本工業高校 何度も決勝まで進んでいる
プロも多い 西武の伊藤監督、広島の前田、巨人の・・いっぱいいるが、一番は 打撃の神様 川上哲治
トリビアであるが、川上は 実は私の出身高校の同窓名簿に載っている
聞くところに寄れば、その頃 我が高校の野球が弱かったので、強い野球部のある熊工に 一年のときに転校したそうな・・
今夏は 熊本勢はダメだったが 春は 熊工がベスト4 まで行った
我々が独占してきた光栄が 薄れるのは 一向に構わないので・・・
( コラ !! なんちゅう 心が狭いのだ・・!!!! )
郷土の高校に ぜひ がんばって欲しい
本記事は 2010年2月19日 熊本在の時のものです 都合により この場所にアップします





今年の夏は 全国的にどこも暑かったようだが
熊本の暑さは 尋常ではなかったように思う
9月15日 午後3時 気温36度C 力強い入道雲は、熱帯地方の空だね~

9月の最高気温は一日として30度Cを下回らず 平均33.4度C
最低気温はこれまた一日として25度Cを下回らず 真夏日更新中
10月になって関東地方は寒くなったが、熊本はまだ夏日が続いている
キー~ ドーン ガチャーン・・・
お やったなー で 窓から眺めると

レスキューが来ている所を見ると 閉じ込められているか?

外に 出てみる 幸い派手に壊れている割には怪我は軽かったようだ

ほどなく RKK TV が・・ 雑談をしたが これって取材?

この程度の事故は ここではよくある

我が家(CRV駐車の家)の前は 狭い川沿いの通勤路と橋が集まる交通難所
昔と道幅は同じで 車は飛躍的に増えているので 当然
熊本市のシンボル的な山 金峰山(きんぼうざん) は、子供の頃からずっとそばに控えていた
あらためて 本当に心が休まる山である

朝起きて 外を見ると そこに山がある
手前に家が増えたのは 残念だが 佇まいは ほとんど昔のまま

熊本駅近くの白川の橋の上から 開業した東横インの向こうに

立田山ふもとの黒髪町の交差点から

一番好きな 夕間暮れ の時
まだ明るい空と真っ黒になった山とのコントラスト
やがてぽつぽつと町の明かりが灯りだす


もう少し季節が進んで 木枯らしが吹く頃
新月あけの シンドバットみたいな細い月が
沈んだ太陽を追いかけて 山の端に近づいた時・・
清少納言の枕草子にある
やまのはに つきがかかりたる いとおかしこんな情景ではなかったか

陽が沈むところに雲の隙間があったのだろう
フラッシュアップ的夕焼け
一日中見てても飽きない ・・・
長い名であるが、ヨーするに" ボシタ祭り " である
いつもなら 熊本に秋の訪れを告げる・ と言われるが、今年は夏を引き留めたようだ・
祭りの前日の藤崎八幡宮 "失われた都"の出だし音の雰囲気

我が家の近くでは 17日の隋兵行列の馬追い練習で 15日からすでに祭りモード全開



隋兵行列の当日 朝6時から いそいそと見物にでかける
まずは 藤崎宮の御神馬から おごそかに

つづいて 御神輿風な山車 これは お賽銭を挙げる車 なかなかうまく入らないが後で拾ってくれる


武者行列
加藤清正の朝鮮征伐 凱旋パレードから始まった(別の説もあるが)と言われているので、これが祭りの本質か




名物の 赤獅子 黄獅子 噛まれると縁起が良いということで狙われるのは子供

時代絵巻が終わると これから市民参加の御神輿


このあとに続くのが祭りのメイン 馬追い
今年は 68頭も参加して 随分 盛況だったね ~ つづく
サー いよいよ馬追い 懐かしいお囃子に 心が騒ぐ

この迫力 祭りは やはり こーでなくちゃ

祭りのヒーローは あばれ馬を手なづける "口取り" である

後の勢子集が 気迫で応援

主役の馬はここでは適当に暴れたほうが良いので後からたたくこともある 馬にとっては少々迷惑か?
・・ッタク ! いつもはおとなしくしてろって言うのに・・本気だしたらまた昨年のようにけが人がでるヨ・・

TV もある審査員席前では 一段と大騒ぎ カメラも必死

大迫力の太鼓隊が続く

リズムは太鼓と鐘でシンプル スピードは気合が乗れば早くなる

ラッパの誘い音が勢いをつける これこそ熊本の祭り・!

音階は大体こんな感じ あまり上手く吹いてはいけない 粗野なところがボシタ祭りに似合う

勢子集はリーダーのアジテートで盛り上がる DJ風でおもしろいのも多い

かけ声を採譜した 一拍と三拍は主和音だが 他の拍にはセブンス、ナインス、マイナーが入って奥深い

かけ声の種類
正式版 ドーカイ ドーカイ ドーカイ ドーカイ (どうしたどうした)
伝統版 オーター オーター オーター オーター(さあ馬を追った追った)
自粛版 ボシター ボシター ボシター ボシター(滅ぼした滅ぼした)
加藤清正が朝鮮を滅ぼしたということでかけ声も祭りの名前もボシタを数年前から自粛している
ここまで韓国に気を使う必要はないのにね・・
合いの手 イヤサカサッサー

近くの新町高麗門からも出ている

当然私も小学生の頃 親父に連れられて魚市場から出ていた馬追いに参加した
今なら 地域からでも同窓会でも職場関連でもいくつも出れる機会はある
一時 馬追いの数が少なくなったが最近はまた隆盛になったそうだ
馬追いは まだまだ続く・・
お祭りとは 騒ぐことだ !

そうだ! そうだ!

どんなスタイルでも いいのだ !

騒ぐバカタレに 観るバカタレ・・ おなじバカタレなら・・

自然とカワユイ娘を捜しているのは カメラを持ったバカタレの手が悪いのでっす






踊りのスタイルもいろいろ
正統派は 両手を挙げて馬追いしぐさのガッツポーズ形
腹を抱えて大笑いする七福神形 指を立てて指揮する形
よさこい踊り形 チャールストン形 阿波踊り形
佐渡おけさ形 ねぶたの跳ね子形 我流タコ踊り形・・
厳格なきまりが無く 勝手な踊りでも受け入れてくれるので 市民も気軽に参加できる
今日の行列の参加者 約2万人

観るバカタレのほうも 6時間かかるので よけいなお世話を・
いろいろオリジナリティを考えると 面白いのでは・
口上も七五調なんで ラップ調、バナナのたたき売り調、CM調なんか・・
さーコーターさーコーター
きょうのめだまはほんマグロ
いまならやすかよヒヤシンス
あたしゃあんたにほれとるばい
ほれとるばってんいわれんたいそうだ これは 小島よしおのパフォーマンスがぴったり・・
そんなのカンケーない そんなのカンケーない
翌日は気温38度C あとかたづけ
祭りの後の寂しさでなく また来年の祭りへの楽しみがふくらんでいる
熊本に帰って親と話すと 即 純粋な熊本弁に戻ってしまう
熊本弁の特徴
1. 武士の言葉、身分上の丁寧語からの転化が多い
はいよ(下さい) あとぜき(後閉め) うらかいさま(裏返し) かくさん(奥さん)
むしゃんよか(カッコいい) ひざぼんさん(ひざ坊主)
2. 接頭語 が多い
きゃーめぐる(巡る) きゃーしゅー(する) おっとる(盗る) うっちぬ(死ぬ)
3. 語尾の変化活用
そぎゃん・ ・のごたる ・だけん ・ばいた ・すっど? ・たい よかと? そるばってん・
4. 由来がよく分からんのも
とつけむにゃ(とんでもない) うーばんぎゃー(???) うすとろか(はずかしい)
えしれん(えたいのしれない)
5. 江戸語と反対で "し"を"ひ"と発音しやすい
1.2.3.4.5.6.ひち よざくらおひち ひちや
6. 同音異義語のアクセントの違いがほとんどない
橋と箸と端 柿と垣と牡蠣 雲と蜘蛛 紙と髪 洗濯と選択
東京に居てもなかなか 熊本弁が抜けない まあ18年も居たんだからしょうがないか・・
子供の頃は 野球などのスポーツ系でなく、プラモデルを作ったり電車や飛行機を見るのが好きだった その辺は 今でも変わっていない 学校帰り 田舎道をトコトコ走る電車があったな・・ と思いつつ 市内をさがす 
派手なパチンコ屋の電飾と 立ち寄り湯の大看板の陰に 駅 みたいな小さな表示が 裏にまわってみる 
なんか レールみたいのはあるが 使っているのかな ・・ 
突然 電車が現われた! いや~ なつかしい ・・ 昔 これで"黒石原"(くろいしばる)へ行って デートなどを・ 
駅の上に ビルが出来ただけで 電車の部分は 45年前とあまり変わってない 
江ノ電みたいに この雰囲気で いつまでも がんばって欲しい
実家の2階の窓から 東の方面 昔は 向こうの立田山まで 川沿い全部が 田んぼだった

その 一面の田んぼの真ん中に タカジマと呼ばれる小高い丘があった
高い木と祠 古い墓地があり いつもカラスや鳶が騒いでいて なんとも おどろおどろしい場所であった
近くなので 今どうなっているか 歩いて確認に行く

ほんの少しだが なんとか面影は残っている
からす なぜ泣くの からすは山に
かわいい 七つの 子があるからよ
かわい かわいと からすは 泣くの
かわい かわいと 泣くんだよ
山の ふるすへ 行ってみて ごらん
まるい 目をした いい子だよ
その頃のカラスは 小学生の目からするとものすごく大きくて 恐かった ・・
今日 TVで 全国高校駅伝をやっていたが 聞きなれた名前に一瞬耳を疑った
女子で2位になった 千原台高校は私の実家の近くの高校じゃないの・・ !
まあ 弟が卒業した高校なので そんなに悪くいう気はないが
昔は 熊本市立商業高校 (イチリツショウ)と呼んでいたが 最近名前を変えたらしい
そのころは ぜんぜんパッとしない ていうか 文武両方さえない感があった
もともと 熊本は 松野明美あたりが有名だが昔から マラソンは強い
歴史的には 第5回ストックホルムオリンピックに日本代表として参加し その後我が国のマラソンの父と呼ばれるほど貢献のあった金栗四三氏の功績が大きい
1人の卓越した選手と指導者がいれば その分野は必ず発展する
憂慮しているマンドリン界にも これから 若いパイオニアがどんどん現われて欲しい
赤ちゃんポストの慈恵病院とペアでまた自宅近くの名所が増えたが
まずは 千原台高校の大健闘をたたえよう おめでとう !
府中の自宅で 相方が扉を開けっ放しにして出たので "あとぜき !! " と言ったら ぽかんとしていた
そうか あとぜき とは 熊本弁だったのか
意味は あと は後(うしろ) ぜき は閉めるという動詞"せく"の名詞形
すなわち 開けた後ちゃんと閉める ということである
昔 障子を開けて入って来ても 後を向いて丁寧に閉めていた この動作に名前を付けた
礼儀作法としては 障子でもドアでも 当然のことだ
特に部屋別に暖房している日本の家屋では 手早く閉めることは 省エネとして有用である
"もったいない"と同じよう 今の日本に必要な すばらしい言葉 だと思う
冷蔵庫は当然 "あとぜき! "
電子レンジもシンク下も "あとぜき"しないとぶつけるぞ ・・・ ホ~ラ
昨年9月 何十年かぶりに訪れた 熊本市の 花畑公園
それにしても 鬱蒼とした この樹木の大きさ・・!
記念碑らしきものも 近代歴史的
東京でいえば日比谷公園の位置づけか 昔は県庁前、今は交通センター前
これも良く覚えている
さすがに 熊本の公園~ という感
家を出れば すぐ熊本城にぶつかるので まず熊本城を紹介する
今年は築城400年ということで 贅(税?)を尽くした本丸御殿が完成する 本丸の金の鯱も現在修理中
以前は 市民プールがあったが 今は駐車場
御幸坂まで歩く ここから長塀(ながべい)が美しい
長塀の前は 雰囲気のある 散策路
"青春の城下町"を聞きながら "青い山脈"的 初々しい恋の情景が似合う
交通センター方面から見ると 清正公の銅像が
トラ退治の逸話で 足の下にトラを押さえつけている
夜の熊本城もなかなかのもの
私にとっては 観光でなく さろきんぐ 又は 所用の行き帰りである
上田桃子の地元の "下通り" をさろく ここは 熊本市のメインストリート
こういう店は がんばってほしい
街は どんどん変わってゆくが 
こういう 変わりようは いいね ・・・
熊本のTVは 一応 NHK 日本TV系 TBS系 フジTV系 テレ朝系 の放送が見られる
"お宝鑑定団"などのTV東京分も見られるし もちろん地元局の製作番組も多い
NHKなんか 東京局の全国放送のあと 天気予報やニュースなど地域に切り替わるのは おもしろい
今 ハマっているのは 日テレ系のKKT〈熊本県民テレビ)の テレビタミン 平日16時頃~19時頃やっている

お目当ては アンカーを務める女子アナの ミカたん むかし好きだった人に面影がそっくり
最近は少しふっくらとしてきたが どちらかというとやせ形 でも あるべきところにはある 峰 不二子 タイプ
こんど "めくって ! ハイ&ロー" にでも 応募するか
スカートじゃないよ
阿蘇五嶽のひとつ 根子岳(ねこだけ) を紹介する
阿蘇五嶽は 涅槃のお釈迦様の お姿であるが その顔の部分が 根子岳である ちなみに 一番高い 高岳は 胸の上で組んでる手の部分 噴煙を上げている 中岳は へそ の部分である (すなわち おへそが茶沸かしている)
有名なのは 外輪山北側の大観望 からの 阿蘇五岳 であるが カルデラの底におりて 南から眺めるのも なかなか 良い
このふきん 白川水源 渓谷 温泉 ペンション村 など 観光名所 旧跡 も多い
高森町から竹田市へ向かう途中 頭の毛先付近から 活火山らしく荒々しい
別荘地としても 素敵なところである
いつか 登ってみたい ・・・
熊本市から 車で東へ 30分も走れば 阿蘇熊本空港を 通り過ぎ 山が迫る
ほどなく 俵山峠展望所 に着く
ここは 阿蘇の外輪山の一角 阿蘇五嶽が見渡せる 付近の 白川水源 と合わせて 観光の穴場
釈迦の涅槃の ヒザ2つ の間から 中岳の噴煙と高岳が見える
それにしても 誰もいない
ひとり こころゆくまで 楽しむ
だれかと 2人だったら もっと楽しい ・・かな ?
看板によれば あれが祖母山か
明日から 名物の 野焼き が始まる
ツル舞う県 などと自慢している所も あるが 我が熊本県の形は 何と表現したら よいのだろうか
TVの天気予報を見ると いろいろ想像できるが ・・
やっぱ 人の横顔でんな 三角半島が 鼻で 球磨川の河口付近が 口 阿蘇カルデラが 耳
熊本市がある所が ちょうど眼
小粋に 口笛吹いているようだし 髪はリーゼント? なので
リンカーンみたいか ・・ ちょっと 日本人には みえない けど ・・・・
冬最中だが2月も後半になると 日差しも力強くなってくる
せっかく田舎にいるのだから たまには外を歩きたい
熊本名物の 植木市 へ行こう と思い立った
行き当たりばったりなので バスは会場の はるか手前で終わり 天気もいいので 当然 歩く
気持ちのいい田園地帯 牧場らしきものもある
40分くらい歩いたら 会場の案内が 私と同じ 歩いてきている人が 約2名いた
車の案内員がいっぱい 広大な駐車場がある
植木市会場から 金峰山 が見える
植木市の 中の様子は 次回 参照
帰りも また かなり歩いて 産交バスの車庫まで ここで運転手さんと しばらく 世間話
そのまま バスに乗るが・・ まるで タクシー風
バスのなかでも ずっと 世間話 ワンマンバスで・・運転中で・・ いいのかな・・と思いながら
結局 始発から終点まで 貸切状態
熊本県会議事堂前 で降りて さらに 市電に乗って 帰宅しました
植木市の主役は もちろん 植木 である
屋外での 植木
屋内の植木の店
ツバキの専門店
クンシラン(みたいなやつ)の専門店
ユリの専門店 強烈なかおりが充満する
ボタンの専門店
松の盆栽の専門店
梅・ボケの専門店
みんな この前で お花見しながら お食事
もちろん 私も ・・・
好きな人には こういう所は たまらない ・・・ ね
植木市に行きたいと思ったのは 現在 別宅の庭を立案中のため その勉強も兼ねて ・・
入り口に ドーンと いきなり 450万円 が
イクステリア店の前 エントランスのデザインが好い
自前で出来そうな感じ 参考 !
あまり手を加えないで 自然を生かす か
このあいだ作った石垣と砂利敷き ウチとおんなじ
枯山水だと 梅が似合う
ツーバイフォー用輸入材が安いので これを多用するのも合理的か
竹の車止めもイイね シャッターや鎖なんかよりも 別宅の 庭造りの コンセプトは
①ターシャの庭みたいに自然に ②可能な限り自作で安く ③急がない 庭造りそのものを楽しむ
まずは シンボルツリーあたりから 検討を始めるか ・・・
植木市は 植木に関する総合博覧会なので いろいろな出し物があって おもしろい
博覧会でならばこそ いつも98円のポット苗を買う我が身にとって・・
別宅では テーブルや棚も作っているので 買いたいのがいっぱい
古道具屋さんも ? どう関係付けるか
大きな石が 350万円 当然 買ったら運んでくれるんでしょうね
手のひらサイズで2000円 ? こんなのこの間 いっぱい拾ったよ
こんなのも ありました タダでも オスはね~ そのほか 植木バサミ 包丁などの刃物屋さん ビニールハウス 農業器具 肥料 薬剤の店など 関連 がたくさん
もちろん 出張レストランや縁日的屋台 おみやげもの店 など 入場無料なのに 十分楽しめました
♪ だれも知らない 素顔の ○○○○ ・・・ ♪
写真ば出したけん ○○なんか書かんでも 分かっとるとですよね 私が言ったんじゃ あーりまっせん バイ
八代亜紀(やしろあき) の出身地は 八代市(やつしろし) たい 我々地元民は 言いにくかけん 八代市を ヤッチロ と呼ぶとです
八代市の近くにある町 松橋(まつばせ) 宮原(みやばる) も当用漢字的読み方と違うごたるばいた
いずれも 熊本弁の発音のし易さ から 変化して こぎゃんふうになったと思っとると ばってん が ・・・
介護の息抜きは さろきんぐ に限る スーパーで買い物もあるし
すぐ近くの 女子駅伝で有名になった千原台高校 グランドでは部員が練習に励んでいました
鹿児島本線の踏み切り スペースベーダーみたいな特急が通る
新幹線の工事も進行中 段山(だにやま)付近は道路との立体工事が大変
近くの 熊本城内の 三の丸公園へ
入り口の石段も立派な作り
これは最近の石垣と思われるが それにしても立派 先週 別宅で自分で作った石垣を思うと うらやましい
城を廻ると 音楽公演などがよく開かれる 熊本市民会館
蔚山町(うるさんまち) の電停ポスト
バックがまずかったが 並木あたりを背景にすると パリの町並み風 ? と なりや いなや ・・・
介護の息抜きに 近くの 立ち寄り湯へ行く サウナ 露天 ジェットバス等 広い浴槽があって 600円
"天朱閣" は上通りの はずれ 熊本電鉄駅ビルの11階にある 当然 眺めが良い
藤崎八幡宮 の参道が 見える
最近 熊本にも 高層ビルが 増えてきた
露天風呂から 熊本城と花岡山 金峰山が
夜は ライトアップされて 幻想的
近くに もうひとつ "城の湯" という立ち寄り湯があって ここも よく行く 設備はほぼ同じで 550円
風呂からの眺めは ? 熊本城に近すぎて 石垣だけは よく見える
金峰山に 朝が来て ・・・
家の前の 井芹川 の川面には ヨシなんかもあって 小魚も多く 鳥が集まる
鷺やオシドリ カラスなど 名前は知らないが 2階からながめてて 一日中でも 飽きない





やがて 金峰山に 夕闇が ・・・
鳥も ねぐらへ帰る また あした
熊本市は 西の有明海を金峰山で遮られている 盆地みたいな地にあるため 夏の暑さはハンパではない
井芹川の水が 蒸発しそうな じりじりとした 真昼
風も止まっている 外を歩いている人なんか もちろん いない
と 思っていたら ヤモリが ・・ ! 暑いから中に入れてくれ~
トンボ は 勝手に 家の中に入ってきた
台所を飛び回っている
この暑いのに 藤崎台球場では 甲子園への熊本県予選がたけなわ
これだけテッテー的に暑いと 熊本の人は あまり 暑い暑いと騒がないようだ
ちょうど 豪雪地帯に住んでる人が 雪がちょっと積もった位で 騒がないように
ま 文句言っても しょーがない し ね ・・
介護は 3食準備するだけでなく 食材の買出し 自分の食事 介護用品の調達 そして気分転換など
自転車で いつもだいたい決まったコースを さろく ことになる
段山(だにやま)近くのスーパーでは食材 ここは新幹線のための立体改良工事中
鹿児島本線の踏み切りを渡ると 新町
第一高校を過ぎると 交通センター ここの百均 と 地下の食堂は 常連
目の前は 辛島町 電停 ここで自転車を置いて 歩き始める
熊本の信号は 待ち時間表示があって 親切
昔 "銀丁"という専門店街があった 新市街のアーケードから 下通り 上通り あたりをさろく
熊本城の長塀のそば あたりも 
自分の食事は外食になることも多い "ちゃんぽん" は やはり 九州だね
交通センター地下の五車堂も良く利用する タイトルが少々大げさ だけど
この "鰻カツ丼" なんか 美味い 安い
歌謡曲のタイトル ではありません
我が母校も 今年はひょっとして甲子園かも という風のうわさ
県予選の準々決勝まで楽々と来たからには 応援せずにはいられまい
今年は 我が母校が 甲子園で優勝して50年目にあたる
熊本県は 後にも先にも それ以外 甲子園優勝はない
実は球場の歓声が聞こえるほど 我家は近い
徒歩で藤崎台球場に着く しかし 突然の夕立に なかなか始まらない
前の試合は延長15回の熱戦 観客もかなり多いのに
土砂降りの中 両校の応援合戦がはじまる 若者たちのこの熱気に 拍手 !
久しぶりに聞く 我が母校の校歌 胸にジーン とくるね ・・
結局 明日に順延 でも 私は 十分楽しめました
特に 女子高生の濡れたブラ ・・ ブラウスは ・・・ ね !
KKT(熊本県民テレビ)で "メクってー ! " と叫んでいる ミカたん も好きだけど ・・
今回は NHK熊本 で活躍している DOYO組 のお姉さん方を紹介しまーす
いつも ニュース番組の後などに 童謡 唱歌 抒情曲などを スポットで歌っています
二人組の さわやかお姉さんタイプの方は やべせいこ クン
もうひとりの 愛くるしい妹にしたいタイプは そがみまこ クン
歌声もハーモニーも 楚々として 唱歌的
ルックスはオグシオ風 で清純 振りも単純で 童謡にぴったり
誰でも知ってる歌を 熊本のいろんなところで 歌っています
阿蘇の ヒゴタイ公園は 本当に いいところ
特に 初秋の頃
やまなみハイウェイからミルキーロードは ぜひ訪れて下さーい ・・ アンタは県の観光大使か 
白川水源 などがある 南阿蘇村も いいですよ -
ここは 白川水源に近い 一心行の大桜
西里(にしざと)の菜の花畑で 金峰山をバックに "朧月夜" を聞くと 私としては 不覚にも つい ホロリと ・・
いつまでも 歌い続けていて 欲しい
もっと メジャーになって欲しい気もするけど
熊本の自然を いつまでも 紹介していてほしい ・・ ね
これで "てんしゅかく" と読む 都市型立ち寄り湯 上通りを抜けると 熊本電鉄ビルがある
下にパチンコ屋の自転車駐車場 いちおう 駅もあるが あまり人影は見かけない
ここの 10階11階に 総合アミューズメント型立ち寄り湯がある 上から藤崎宮前のクランク道が見える
介護の気分転換に この風呂にはよく行く
なってったって 露天風呂からの眺めが良い
目の前の熊本城 天守閣 本丸御殿 宇土櫓 すべて体裁よく 見える
山は 花岡山 金峰山 荒尾山 三の岳 本妙寺などの大パノラマ
ここで 日なが一日 フル○○で サウナに入ったり 椅子で日光浴したり
さらに 階下には レストラン ビデオ・インターネットカフェ 家族湯 岩盤浴 マッサージなどが
ここで身体が落ち着くまで 風呂上りインターネットを楽しむ
阿蘇のながめを楽しみながら アイスコーヒー なんぞも いい
一日 楽しめて 1000円以内にだいたい納まる
熊本にくる人が居たら ・・
絶対 お薦め
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