いつも出かけると帰りはいくつか手前の駅で降りて家まで歩いている
健康保持と交通費節約の一石二鳥

今回は京王線調布駅を降りて「旧品川道」を歩く
「いかだ道」とも言う
多摩川では昔はいかだをよく使ったようだ
調布から二つ目の駅「飛田給」のホームが見える
飛田給は別名「味の素スタジアム前」、サッカーFC東京の本拠地

なお、FCはFootball ClubでなくFuchuとChofuであるそうな・
応援旗も府中ではFUCHU、 調布ではCHOFUとなっている

市の境で旗の中身も変わる

約30分の街道散歩でした
今回は芝のメルパルクホールから虎ノ門まで歩く・・センチメンタルウォーキング

ここに来たのは久しぶり、今日は投資信託の勉強会

すぐ前が増上寺、東京タワーもバックに
なんかどっかのブログで見たような景色・・
まあ、リリーとは交換日記でいいっか・・


裏を抜けると東京タワー前
ここに登ったのは50年前(半世紀も!!)一回だけ


今回はその気もないので、プリンスホテル裏方面へ
芝公園は、学生たちのクラブ活動でにぎやか

新興ビルが多いが、時にはほっとする建物もある
つづく
芝公園を抜けると、今は目立たなくなった愛宕山に着く
以前、この付近に勤めていた頃、昼休みよく遊びに来た
愛宕トンネルの脇にはエレベーターが出来ていた

木陰が気持ちよい雰囲気は、昔のほろ苦い恋の想い出と重なって・・

足は、自然に愛宕神社へ向かう

間垣平九郎(字は?)が馬で駆け上ったという正面階段は、そのまんま・・ 急~ !!

イッキに(ではなかったが・・

) 上り詰めると、ひっそりと愛宕神社

となりのNHK博物館も今はビルに囲まれて

近くの家には戦前のノスタルジック風景がいっぱい 植木鉢など・・
平家琵琶を店先で作っていました

程なく 「虎ノ門三丁目」
更につづく
「虎ノ門」 ここは15年前ちょっといた想い出の地

勤めていた15森ビルはむかしのまま、でもホテルオークラもアメリカ大使館も見えなくなった

「虎ノ門二丁目」 T社のショールームも、よっちゃんがいた会社も、もうここにはない

飲み屋の「桝本」は相変わらず、隣まで侵食して拡大。たこおでんが美味しかったが・・

いつも行ってた「長崎飯店」が昔そのまんまなのがうれしい・・
当然食べたのは ちゃんぽん !!! コレは絶品


やがて 終点の虎ノ門交差点
霞山会館も高層ビルに、虎ノ門ホールも消えそう・・

思えば、35年前のある日、たまたまここの地下鉄で降りて、そして虎ノ門ホールでのMandolin Concert にめぐりあわなかったなら、私はまったく違った人生を歩んだのでは・・・と
薄ら寒い夕闇の中で、しみじみ思いをめぐらす、センチメンタルウォーキングでした・・

一巻の終わーり
まずは、この写真を見て欲しい・・!!

この踏切の道とレールの角度 !・・・おそらく30°以下
ここを普通に自転車で通ったらドーなるん ?
道は、バイパスが出来たとはいえ交通量が多い甲州街道
線路は、3分おきに電車が通る京王線
事故が起きないうちになんとかしろーー!!

あっ危ない

俺は、いつも酔っ払ってココを自転車で通るんだからね ~ ・・・ ッタク
介護で一日中家にいるのも何なんで、自宅付近をさろく・・
"さろく"とは、九州弁で"うろつく"とか"ぶらり歩く"の意味である
まず近くの母校の小学校へ・・・

建物は鉄筋になったが、玄関前の雰囲気は5才の頃と余り変わらず・・
脇をくすぐると木が笑う・と真面目に遊んでいた"さるすべり"も健在、
そばに二宮金次郎の石像があったはずだが・・・
門がオープンで中に入れないこともなかったが、今回はやめ・
その頃よく遊んでいた石神神社へ

怖かった石の仁王様は健在、
縁日の時、"ばってん荒川"の「肥後にわか」が行われていた所は、今でもガキの遊び場
5分ほど歩くと、最近「赤ちゃんポスト」で話題になった慈恵病院のそばを通る

昔は田んぼの真ん中にポツンとあったが、今は家に囲まれている
この付近では、教会と修道院がかなり印象に残っていたが・・・ あった !

ここに"愛慈園"という孤児収容施設もあって、小中学校では同級生もいた
今はどうなっているのだろう・・
昔からキリスト教の慈善活動が行われていた地域で、これまでの歴史を鑑みれば、「赤ちゃんポスト」という発想がここで起きたのはきわめて自然なことと思う
自治体から見れば、福祉の不備や教育の荒廃などを突かれていい気分ではないだろうが、まず最悪の事態を避ける、早急に対応する、という意味で、私は応援したい
人生で絶対やるべきことがある・それは・子育てと親の世話であると、誰が言ったか知らない・・< 実はいま自分で考えた ^0^;)・・ >
私は事情により子育ては出来なかった
せめて親の世話を・という事でここに来ている
「赤ちゃんポスト」の里親になれば、子育てもできるかな~・・
無理だろうな・・・・・・・・ さろき続ける
さろき始める実家の周りの景色・・
まず開けている西のほう

井芹川をへだてて見える山は、学校の校歌によく出てくる
熊本市のシンボル的山 「金峰山」(きんぼうざん)666m である
独立峰に近く、九州の中心に位置しているので眺めは抜群 !
漱石の草枕の舞台や、宮本武蔵の遺構など歴史的旧跡も多い
家が全然なかった小学生時代は・・ ウサギ追ーいし・かの山~ ♪
が、ぴったりの景色だった
さて、南の方面は・・

花岡山 (はなおかやま) 頂上の佛舎利塔や、木の形まで全然変わってないのがうれしい・・ 熊本駅のそばなのに・・
ここは、記事ネタが豊富にあるので、いずれ詳細に紹介したい
東の方面は・というと

家並みで今は見えにくくなったが、熊本城と藤崎台野球場が望める
この付近すべて町内の中でーす
さあて さろいてこー・・・・・・
肥後てまりうた の タヌキの親子像が 船場橋の辺にある

さろきうんちく その1
タヌキのメスの像は余り見かけないが ナンでだろー
オスの○○が千畳敷だと ・・ メスは ・・・ ??
ちょっと話が落ちた
どなたかタヌキの夫婦の置物でもありましたら画像送ってくださーい

さろきうんちく その2
昔の記憶であるが、
てまりうたの歌詞は、一番が"船場川の海老サ" で
"煮てサ、焼いてサ、" の後は "うまさでサッサ " でおわる
そして、二番の歌詞がタヌキの話ではなかったか・・
すなわち、"それを木の葉でちょとかーくーす"
は、CODA的2カッコではなかったかしらん
それとタヌキの前にまだ別の歌詞が何番かあったかも・・
とにかく、「おてまり」遊びではこのCODAでまりつきを終わらせていた
最後は玉を前から股間を通して後ろ手でつかむのであるが
女の子の場合はスカートの中に入れてつかむので、割と楽に出来ている様だった
よく覚えているということは、よく見てたんだなー
そ、特にスカートから取り出すところまで ずっとね・・・ また落ちた
熊本市の新町は、城下町時代に職人や商人が集まるよう町つくりがされた所で、今でもその痕跡が そこそこに残っている

塩屋町、職人町、馬借町、魚屋町、細工町、桧物町、桶屋町、高麗門町 ・・
など、これらの町が 全て新町何丁目となるのは 無粋というか
本当に残念 !
一角にこの辺で古い家の代表格の 薬局・吉田松花堂 が・・

胃腸の薬 毒消丸 (どっけしがん) ・・少々熊本弁 は
いまでも市民の常備薬として人気がある

明治のレトロ建築といえば、長崎次郎書店

これは、特に名前はない
偶然会った 私の高校の同期生の自宅である
築160年だそうだが、フツーに住んでいるそうだ

やがて新町のはずれ、" あんたがたどこさ " の 船場橋 に着く

海老とタヌキのモニュメントがある
ここから、熊本城方面に方向を変える
その1 健康のため
最近 介護施設等で、感じること
「健康であることこそ 人生の最終的勝者」
歩くのは金もかからず 健康に一番
富士山なんか見えたら云うこと無し !

その2 ウォッチングは楽し
お屋敷ウォッチングしていると、他人の家ながら庭木や花壇の様子が楽しい
また サイディングや窓のデザインなど別宅建設の参考にさせて頂いている
裏通りに多い・・美味しそうなラーメン店、趣味の店、工房
時にホッとする建物に出会う なかのZEROの近くの北野神社

豪邸のまえにノラくんなんか居て・・

その3 時間厳守のため
演奏会の集合時刻は 絶対遅れてはならない
そこで 交通手段の誤差等を考慮して、1時間位前に到着する予定をたて、
その付近を さろいて 時間を調整する
先日は、予測を誤り 2時間も前に目的地近くの片瀬江ノ島駅に着いてしまった

そこで、目の前の江ノ島を ウォーキング
この案内をみると、簡単に一周できそうな気がする・・

道なりにいったら、戻って来ずに先端の岩屋まで行ってしまった
アップダウンも厳しく、ちょっとした山歩き
帰り、側道に入ったら、危なく海へ転落しそうになるし・・
走って橋まで戻ってきたが、結局 遅刻
過ぎたるは及ばざるが如し
行った時期は 目黒川の桜がまだこのくらいの頃

行ったところは このクイーンズスクウェア裏のホテル

何があったかはまた別記事で紹介するとして、
終わって さろく

みなとみらいは 足元のマンホールのふたも ひらがな・・
やはりここは写さないと

あ 月が・・・ サノ ヨイヨイ ~♪

隣の三菱重工ビルは まだぽつんと建っていた頃、会議で訪れたことがある

上にある、振り子の原理の免震装置を見学した

これから 中華街方面へ・・・

その前に 一言
JR桜木町駅前はストリートパーフォマーにとって一等地であるが、
まるで追い払うように無粋な音楽を大音響で流している
せっかくの洒落た都市景観があるのに雰囲気台無し・・
露店やストリートミュージックのほうがまだマシ !
ここの管理者の文化的貧困さを感じる
みなとみらいから さろくこと 20分

ここに来たのは 15年ぶりかな~

昔はお寺みたいのがあったしか覚えがないが、今は綺麗でにぎやか・・
目的の店の場所を尋ねたら、親切に地図をくれた

ヒロシも来店したという店で かの有名な"海老焼きそば" を注文

堅麺の焼きそばとしては まあ合格の味
海老焼きそば鑑定家 になるには もう少し経験を積まねば

山下公園の氷川丸が 無くならないうちに・・

青春時代の苦い思い出がある ホテルレストラン・・・
怖いもの知らずで こんな高いところに誘って・・
~アートは云えないー ふたりは若かった~ ♪

いちおう ここは写さないといけないような雰囲気なんで・・・
桜のいい時期は、演奏会やら録音など、何かと忙しかった
一段落ついて さあお花見を・! と思ったとたん 雨、風、寒さが・
昔は、酒を飲む理由付けで花見をやったとか、
酒が満ち足りている現代では、それなりの桜の楽しみがあってしかるべきだ
なーんて・・てきとーな理由をつけて、ひとりで さろき花見 に出かける

花見っていう雰囲気は全く無いが、あの街路樹はひょっとしたら・・街路桜

ソメイヨシノとは全然違うが、近寄ると結構きれい・・振袖桜

小学校のは間違いないだろう・・小雨にむせぶ桜

我が団地の桜、古いので5階建て以上に伸びている・・マイ桜

府中の桜通りの桜・・赤信号で色付けて・・ 散り桜

ワーイさくらださくらだ~・・子供もはしゃいでる・・桜吹雪

ガマガエルも楽しそう・・池に浮かぶ桜

なんと けやき通りのケヤキが早くも芽を吹いている・・桜につられて

これは7年前、昔の職場の敷地内で撮影 ・・ 休日出勤さくら
新町の東よりにあるひっそりとした趣のある地域である

熊本城内の二の丸公園から降りてくると、国立熊本病院が見える
以前は、師団の駐屯地みたいな暗い建物が並んでいた

裏口は、鎧兜の武者が出てきそうな雰囲気
名前の由来の 堀 がある 加藤清正が朝鮮出兵した頃の熊本城
(隈本城と呼ばれた) は、この付近にあった

体育館が見える第一高校は、共学だが男子生徒がいない
私の高校時代、一本線のセーラー服姿の○○を横目に
胸をときめかせながら、この付近を自転車で通った・・
そばに学生がいたので写真を撮ろうかと後から近寄ったが・・
捕まりそうに思ったのでやめた・

第一高校のセーラー服は、身内で我慢してください・・私の姪の二人
新町のはずれ、YMCAから熊本城の裏手へ
高校時代、ここに屋内スケート場ができて、あの頃必死に通っていた

すぐ坂を上ると県営藤崎台野球場、出来た当時は日本で一番広い野球場だった

ここからも 金峰山と荒尾山が良く見える
ところで、この球場のセンター裏、以前はただの広場だったが、今は駐車場になっている 中学の時、奥の崖に穴を掘って遊んでいたが、それがまだそのまま残っていたのはびっくりした

野球場の隣が、野球をやって遊んでいた護国神社

球場や護国神社もすでに城内であるが、神社をすぎると城の石垣が・・

夕刻で、観光エリアでもないので、人っ子一人居ない
前方から騎馬軍団が突然出てきそうな雰囲気・・
無事 通過すると広大な二の丸公園にでる
本丸はまだずっと先だ
だいたい、普通の観光客が歩かないところを歩いている
二の丸公園からの眺めは圧巻

今年は熊本城築城400年ということで、本丸の右手に本丸御殿が建設中

真ん中が、当時からの建物 "宇土櫓" 西南の役以前はこういった櫓が林立していた・・

二の丸公園の北端には百間石垣という(これまた逸話あり)所がある
この傍にある建物、今は市役所の支所だそうだが、昔は何だったか?
とにかく 灰色の気味悪く近寄りがたい建物であった
そういえば隣には化学血液研究所があった、
この付近、旧日本軍の秘密研究施設的な面影がいまもたっぷり
自殺の名所"いわね橋"も近くだし・・
さて・・

我が町内から抜け、棒安坂を下りて、NHK熊本支局前
この付近は、美術館とか伝統工芸館など、表の顔が多い
あ~あー 青春の~ 思いでは~ ♪
我がー ふるさとの~ 城下町~ ♪この曲のイントロのマンドリンは素敵ですョ

やがて、夕日を浴びた熊本市役所がみえる市内中心部に入る

この付近は、小泉八雲、夏目漱石の旧居もある また取材に来よう
バトミントンの陣内さんの母校、信愛女学院もあった
でもあの制服は、なんとなく"かみしも" みたいで・・・
私は、やはり一本線セーラーの第一高校のほうが・・・ね
もっとも当方はと言えば、全国一ダサいと云われる黄線の帽子・・
昔は、高校生が2人で歩く時など、周りの誰が見ても身分がはっきり
分かるようにしていた(されていた)みたい
ま、今もそうかな・・
せっかくの高邁な雰囲気なのに・・・すぐ俗世間レベルの話になる

ふたたび二の丸公園に戻る 暮れなずむ城もなかなか良い

以前、ここには 第二高校 という新設の公立高校があった
今は何処に移ったのだろう
会社時代、客先の課長が 第二高校出身で、話しているうち、
大学が私と同じ学科で後輩だった ということがあった
結構、優秀な高校なんだな・・ おマエの自画自賛か! (タタク!)

"神風連の乱"跡、明治9年 神道崇拝、外人排斥の士族が蜂起した
頑固で信念を曲げない"肥後もっこす"精神はここでも表れている
熊本人が一番嫌がる性格は・・
損得に応じて、又は色仕掛けで風見鶏みたいにふらふらしている奴 !
「おんなのきゃあくさったような・・」の表現は今では不適切だが・
肥後もっこすは、保守的だがいさぎよい、やせ我慢も得意・・なのだ!
私は熊本に生まれてて良かった

護国橋へ戻る
戦争中は、熊本人の性格のせいか、第六師団という勇猛な軍隊が鳴らしていたが、命を粗末にした話もいろいろ聞いた・・
この話は余りしたくない・・
熊本市新町を走る市電

これは古い、しかし純粋な熊本キャリア組の車両と思われる
約50年前、電気を取り入れる所は、棒の先に車が付いたようなものだったが、
その頃 このパンタグラフ式の新型車が現われたような記憶がある
続いて、船場橋を渡る市電

行先表示部が大きい分、上より新しい
でも 他県からの "おさがり " の車両と 思われる

船場橋では次々に電車が通る・・・この型は ??

これは・・・
表示部が電子化されているので一見最新型に見えるが・・
市の交通課に新型車を購入する金があるとは思われない
車体デザインから、たぶんドイツかオーストリアあたりからの
"おさがり " ではないか・・・ ?
見ているといつまでも飽きない
しかし、じっと立ち止まってみているのは私だけみたい・・
なんか "こっぱずかしい" 感じがしたので
用事があるような顔をして再び歩き出す
実家の2階から見ると こう見える

山全部が 子供の頃の遊び場

頂上で目立つ 佛舎利塔(ぶっしゃりとう)
お釈迦様の骨が分骨されて納められているとか

裏にある修行僧の伽藍、以前は、団扇太鼓をたたきながら托鉢に廻っていた・・

頂上から東に目を向けると 熊本市が一望・・阿蘇の噴煙も・・

北望は私の実家付近

ここにもノラくんがいた

つづく・・
熊本城に近いだけに、旧跡も多い

この例は 観光地には同類が多い気がする

これもねー

九州は歴史柄 キリスト教の活動が盛んだった

なんといっても、ここは 西南の役 の古戦場

にっくき 薩摩軍がここに大砲を備え 熊本城の官軍を攻めた

近いようだが 当時の大砲では城までは届かなかったらしい

結局 守りとおしたが、熊本城の本丸はその時の火災で焼失した
明治10年のことであった
どんなに昔であっても 人の脳裏にしっかり焼きついている景色というのがある

中学の頃だったか、勉強、友達などいろいろ悩みながら学校からの帰り道、もうすぐ家というところで、金峰山と井芹川がぱっと開けるところがある
なんてこともないところだが、その石垣の目まで なぜか今でもしっかり頭に残っている
45年後にここを通ってビビッと私の中に映像が映し出された
白黒にして想い出に浸ろう・・・
うさぎ追いし かのやま
こぶな釣りし かのかわ
ゆめはいまも めぐりて
わすれがたし ふるさと
私の家(府中)の近くに、戦時中 飛行機を避難格納していた壕が残っている

同じものは調布飛行場の北側公園にもあって、きちんと保存管理されているが・

ここのは、ほったらかし まるでゴミ捨て場
しかし・・・
荒れているところがお似合いかもしれない
戦争はむなしいものだから・・
府中市の 分倍河原 近くの家

存在感 ありますね ~
自転車が通ってる前の庭はよく手入れされてお花が満開
家主はこの家でなく隣に住んでいるらしい・・・
ただし "美女" といううわさは聞いていない !
以前勤めていた会社のや 優待目的で、少しばかり株を持っている
株主総会の集中日、たまには出るか・と さろきがてら電車に乗る
しかし、今日 電車の中はいかにも株主という人がいっぱい
個人株主の特徴
・熟年というより"ご老人"と呼ぶのがふさわしい
・服装がダサい (だから老人に見える)
・歩きがおぼつかない(毎日元気に散歩している雰囲気の人はいない)
自分への反省を込めて
お金がよほど有り余っているならとにかく
よその会社に投資するよりも、まず自分に投資しよう・・!
身体を鍛え、センスを磨き、趣味と教養で心を豊かにしよう・・!
目標 ! チョイ悪オヤジ・・・か?
今日の さろきんぐ は ためになった
井の頭線の永福町で下り、大勝軒の前を通り 商店街を右折すると
龍光寺という立派なお寺さんがある

お盆の"施餓鬼"のお手伝い もちろん友人の・・

植物が見事である

お寺さんによく似合う

広い敷地の中に墓地も・・ おや あれは

昔、合奏練習した 公民館ではないの

公民館横の ど根性雑草 仏のご利益あれ~・・
7月20日は 府中の大国魂(おおくにたま)神社の例祭である

ここは 5月の勇壮な"くらやみまつり"が有名だが これは女性的

境内の にぎやかさは 初詣並み

参道には 出店が ズラリ

いちおう 並んで お参り
ここの主人は 大国主の命 はるか昔 神話の時代
誰とかは 定かではないが デートをすっぽかされて
「待つのはつらい」・・ と のたまった とか
以来 ずっと 府中では 松飾りは正月でも使わない
それに、この神社を2人でお参りすると
やきもちを焼いて 別れさせる という

それにしても アベック(なつかしい言葉!) が多い

以前は すもも を売っている店が 多かったのに

この 一箇所 だけ でも ホッとする景色

もちろん 名物の カラス団扇 を買う 別宅のお守り用


たしかに・・・
昔二人で来た人とは 今はおつきあいはない
みなさん・・・
神をシンジナサーイ !
8月になって やっと 梅雨明け宣言
ついでに 表紙テンプレートも リニューアル
府中市の けやき並木通り の緑を お楽しみ下さい


団地の みょうが も 収穫
"さろきんぐ" に適した マイナーな公園を紹介している

ここ 府中の森公園 は 自宅のすぐ近くだが 初めて中に入った

思ったより広くて よく手入れされている

都立 だそうだ

多摩川の 国分寺崖線 に近いので 水も豊富

府中市の美術館は ここにあったのか・・

広大な芝生 平日の夕暮れ時 だれもいない

やたら目立つかんばん 急ぎ足で通り過ぎる

以前は 米軍キャンプと米軍住宅地 があったところ
公園と美術館の他には テニスコート、サッカー場、斎場など・・
となりは 自衛隊の 東府中 航空司令部? がまだ健在
都立らしく ゆったりと閑散なところが良い
土日は どうかな~
今回の マイナーな公園は 自転車でさろくのに ぴったり

東京都小金井市の 武蔵野公園 野川と東八道路にかこまれた所

真ん中に 広大な花壇があるが
その下には 野川の洪水防止用地下調整池がある

周囲は 府中の木ケヤキの大木 この裏が 運転免許実技試験場

ここの特徴は スケボー族に優しい いろんなチャレンジ所がある

私の好きな 百日紅(さるすべり)の木も多い

洪水調整池の上の花壇には 季節の花がいつも咲いている

野川沿いも風情がある 向こうは国際キリスト教大(ICU)のキャンバス

川に臨むバーベQエリア ここは桜の時期が穴場

野川 ゆくかわのみずはたえずして・・・

突然 静寂を破るのは 西部多摩川線

他に 静寂を破るのは・・
調布飛行場に着陸する、大島行きのボンバルディア機
ICU かアメリカンスクール学生の トレーニング
エンジン用ラジコンカー
野川公園を管理するおじさんの 草刈機
ここから先の野川公園は メジャーである
二胡のイベント帰り ポカリ暇となったので六本木方面へ

折からの台風で大荒れ 建物が風でゆがんでいるよう

設計者は先日亡くなったご存知 黒川紀章 氏

展示館前のロビーから吹き抜けのエントランスが望める

ここは関西空港か・・ という感じ

思っていたよりも素敵なところ

カフェテリアもあって欧米風

デートに最適だな・・ いま需要は無いけど

帰りは風雨を避け地下鉄で 国会議事堂前駅ではホーム用ゲートが出来ていました

もちろん建物ばかりでなく展覧会も堪能しましたよ ・・・ つづく
国立新美術館では 独立展 を観に・・ 独立展はもう十年来 きている

キッカケは・ 飲み屋で隣に座るやや先輩が ここの審査委員で 実は大変有名な画家

いつもは上野でやるが今年からここ 隣のフェルメール展に比べれば閑散

落ち着いてゆっくり観れるのでイイ

権威に頼らない新進気鋭の画家の作品が多いので 気持ちがビンビン伝わってくる

画家が伝えたいもの・・奥深いもの、深遠なもの、空想と現実、希望と失望、批判と賞賛 ・・

必然的に人間の本能を描く・・ 生と死、性愛、権威欲、虚無感、自然回帰、恐怖、歓喜、夢 ・・

おや、どこかで見た様な・・いつも山で後から付いて来る オバケのリリ子ではないの

モデルのアルバイトしていたのか・・
絵については知識はないが、素直に向き合って感じるままを楽しんでいる
楽しむというより自身を内側から考え直すことが出来る・・何 言ってんだか・?
印象派みたいな・部屋に飾って癒されるような絵は 見当たらない
とにかく ここには フェロモンとかオーラみたいなものが あふれている
どっと 疲れた
介護中のひととき 家の前を さろきんぐ

この旗 なんて読む・・?
ッタク・・我家をバックにね
あてつけに 私の自転車を鍵なしで置いておく
ブレーキ甘いので盗んだらかなり危険
この看板のせいで? いまだ盗まれてない
でも ・・
ちょっと困る
府中市の けやき並木通り もうクリスマスイルミネーションですね・


むこうの 大国魂神社も やたら にぎやかです

そうか 酉の市

くらやみ祭り すもも祭り とも違う この 飾りの雰囲気

特徴は 縁起物の くまで

大国魂神社も 特大版を 飾っています

買うと 手拍子でしめてくれます 周りも一緒になって・・チャンチャンチャン、チャンチャンチャン、・・

全景を写したかったが ・・ 三脚、手振防止機能も無い 夜の写真は この程度が 目一杯ですね

神殿の隣では お神楽が奉納されていました

なかなか見事です 私は伴奏の篠笛に聞き入っていました

菊の展示もありました

結婚式も やっていました

やきそば おでん たこやき わたあめ べっこう細工 お好み焼き ・・ 食料品部は 人も大勢

いつも居酒屋で一緒になる Mr.L と偶然会いました

以前会ったときは ベッカムそっくりで格好よかったのですが、・・
久しぶりにあったら 007の諜報員みたいで やっぱり格好よかった です
とある用事で 久しぶりに銀座を訪れた 何 ? この行列は ・・

西銀座のチャンスセンターから続いている てことは・・ 年末ジャンボ宝くじ !

どうも 一番窓口のみ 行列らしい 最後尾は Seibuデパート前
私は 並んでまで買おうとは思いませんよ 2等でも1億円で本数も多いので 二番窓口で買います・・
別宅建設で これまで営々として稼いだお金が 羽が生えたように飛び立っていく
どげんかせんといかん ・・
行ったのはずっと以前の11月 頂上から紅葉平付近の景色をお楽しみください




京王線沿線に住んでいるので新宿はよく通る なんの目的で行ったか覚えてないが なんかの帰り
久しぶりに 南口をさろく
昨年からの クリスマスイルミネーションが ・・
これだけあると きれいだから ま いいっか ・・
ホントの目的は ここ 別宅の用度品に こだわると 足繁く 百均かハンズに行くことになる
途中 人だかりが・・ こんな夜中に
これが有名な あのドーナツ屋さんか ・・ 私は冷めた横目で そそくさと通り過ぎたのでした
遠くへ さろく時 いつも乗る 京王線
明大前 下北沢 経由で小田急線 ロマンスカーもカッコ良くなったが 味わいがね~?
南へ下って 江ノ電 なんてのは 味わい深い
ただ あまり近づくと はねられるので ご注意
運転士にはなれなかったが まだ 心は さわぐ
なかのZEROで練習の昼食時は なかの裏通りをさろく 当然 表顔のサンモールは素通り
この位の道幅がさろくのに心地よい 食べ物街にぴったり
ここは 裏通りが二重三重にある アイロード ?
裏通りのさらに裏通りは 飲み屋街
昔は ただの路地 だったんだな
裏通りと裏通りを結ぶ通りにも 立派な名前が
戦前からみたいな古い家が残っている
車が通らない狭ーいごちゃごちゃした道
味で勝負する店
嗜好を凝らした店構え
セレブ風な住宅と手入れされた庭
なんとなく芸術の香りがする
楽しいね ~
まずは 昼食を食べねばならぬ なんの変哲もない台湾料理屋 特にこだわらない時は ここに落ち着く
この時間 みんな混んでいて大勢だと大変 誰も入ってないと入りにくいし ひとりさろき は便利
中華料理の定食は だいたい店の前に現物が置いてある
いつ行っても 大行列のラーメン屋 こういう所には 私は行かない
鉄道グッズで固めた店 たぶんミニSLで料理を運ぶんだろうな
菜食専門の店もある ここは もう 住宅地の中
丹精込めた庭の花 みんなに見せたくなるよ ねー お見事 !
この付近は あの ミスター年金の地盤か
帰りがけに 北野神社 で 一礼
時間がないが なかのZERO前の S忠 は必ずのぞいてゆく 草花や別荘用具など
さて 午後の練習 がんばろー ・・・ !
♪ これから始まる 大レース
ひしめきあって いななくは
天下のサラブレット 四歳馬
今日はダービー めでたいな ♪
府中市の目抜き通りでも ダービー展
31日の夜 近くの東京競馬場 の前を通る
あれ 閑散 ~ いつもなら 夜明かし組で ごった返しているのにね
正面玄関前 に 少々 か
まあ 別に競馬人気が落ちたというわけでもないだろうが 昔は一頭ぐらい知ってる馬がいたけど ね
いつも演奏会と重なって ダービーが走ってる頃は演奏中
ハンカチ王子の早慶戦とか 6月の第一日曜は
とかく
行事が重なる
京王線 調布駅は 今 地下化の大工事中
駅前も 区画整理されて 整然としたビルが
駅近くの この踏み切りも いずれなくなるだろう
大昔(たぶん戦前から) のこの店並みは "滝田ゆう"の漫画的で 心安らぐのに ・・
これもたぶん 無くなる
眼に留めておこう ・・
今は昔 新宿コマ劇場があったころ (まだある?) その前の広場
ここは 若いころ よく 遊び歩いていた
最近は その裏のハイジアビルに 時々来る
16階のカルチャーセンターで Guitarの お手伝い が 主な目的だが
ここからの 新宿副都心のながめ が 好きだ
眼の下は 山手線 中央線 西武線 の電車が ひっきりなしに通るので あきない
京王れーるランドに行きたいが 子供連れでもないと ちょっと浮く 雰囲気
ここに 一日中居て 電車を眺めていたい
が、 たぶん ・・
迷惑がられる
新宿副都心街は 遠くからはよく眺めるが 最近 あまり歩いたことはなかった
都庁ビルなんて 今でも 展望室みたいのがあるだろうか ?
ハトは 昔から よく いましたね
高層ビルもなんだか 落ち着いてきた という感じがします
ホテルの前で ケヤキの剪定をやっていました
別宅の樹木の剪定をやらなければいけないので 参考のためにじっくり見学させて頂きました
新宿は やはりネオンが似合います
え ? なんで新宿をさろいてる ? だって
言えませんよ ! そんなこと ! ・・
いづれの御時にか たぶん 1971年の秋のころ 私は 新橋駅あたりを さろいていた
そのころ日本で初めて開店したマクドナルドという店を興味本位で見に行った
そこは 都会に出て来たばかりの田舎者には ちょっと近寄りがたい雰囲気であった
その後 ちょうど腹もすいていたので 駅前の 食堂らしきところにふらりと入った
入って驚いた メニューが2種類しかない 牛丼と牛皿
仕方ないので牛丼 といったら なんと10秒もたたないうちに目の前に牛丼がやってきた
注文間違えて作ったやつが残っていたのかな? と思ったが 厨房ではちゃんと作っている
そして 食べたら美味い ! 上品なニッポンの洋食という感じ
食べ終わって 支払いでまた驚いた 280円 安い !
東京に出てきて 初めての カルチャーショック
今日食べた 特盛り は 630円 食べるたびにあの時のショックを思い出す
マンドリンの合奏練習で よく行く 中目黒 駅前は再開発で 半分は さっぱりしている
練習場所は ココ 目黒区の公民館 でんな
早く着いたので ドトールで コーヒーしていたら 前の広場で なんかイベントを やっている
音はクラシックの演奏会みたいだが やたら にぎやか 盛り上がっている
あの芸人さんは TVで見たような・・
オペラ カルメン をアレンジした漫談 クラシックを主題にするなんて なんか いいんじゃない !
振り返ると 駅前の地下排気塔には なにやら 象形文字 が ・・
その前には とても 実用品とは思えないもの が ・・
これも すべて ゲージュツ て言うんですね
京王線 東府中駅付近も 昔からよく さろいている
駅前は 旧甲州街道 新甲州街道〈R20号線) が交わる
品川街道も このあたりから始まる
あれは府中市のコミュニティバスのChu-Bus(ちゅうバス) ちなみに隣の国分寺市のは Bun-Bus(ぶんバス)
駅前から 自衛隊航空管制室へ続く 平和通り には 様々な施設が集まる
昔は米軍基地があったところ 商店や飲食店も多い
喫茶店前にテントを張り TVかなんかのロケをやっていた 写っている人はスタッフと役者さん
昔の歓楽街のイメージが残り 最近は公共施設も増えた なかなか味のある街
アドマチック天国街にぴったり
高尾山の紅葉(もみじ)です 行った日は 2001年11月 かなり前
低画素の初代デジカメなんで 色彩がいま一歩 でも雰囲気はまあまあ
場所は 一丁平 あたり 時刻は 陽が沈むころ
私は いつも 陣馬山から登って 高尾まで縦走する
朝7時ころ家を出れば 景信山で昼寝をしても 陽のあるうちに帰って来れる
寝過ごして たとえ暗くなっても ここは安全だし 交通機関も問題ない
この時間 まったく混雑してないので 静かに 紅葉を堪能できる
一句 ひねりたいが ・・
その才は ない
昔はよく行ってました 秩父の手前 越生の裏山というか 高麗の奥の山 の付近
この季節 桜に混じって ミツバツツジの赤紫が目立ちます 匂うがごとき春の山里を演出
高山不動尊にお参りして 破魔矢の一部をお返し 関八州見晴台は 晴れ過ぎて 霞のなか
顔振峠(こうぶりとうげ) の歴史物語は 後々のブログのネタ 古い薬屋さんも健在でした
秩父の山々は 芽吹きが始まり 飯能の街は 今が 花見の最盛期
久しぶりに 立川駅北口を通りました 10年経つと かなり進化しています
乗り物があると どうしても 撮りたくなります このモノレール 眺めが 良さそう
この木は この付近の発展をずっと見てきたのでしょう なにか 語っています ・・
五月晴れの ある日 お気に入りの 熊本城 二の丸公園 を さろく
第一高校の前を通ったり 法華坂を登って行っても 行けないことはないが・
やはり いつもの 護国神社から 行くのが 一番
連休だけに 人が多いが それ以上に広いので 見かけは 閑散
細川藩の藩校 時習館 があった所 そして 神風連の乱から西南の役までの動乱の地
城内は 加藤清正から細川代々の大名 そして つわものどもの夢のあと
後方は みんな見ていた 金峰山と荒尾山 そして そこに沈む夕日
ここで 結婚式をあげるなんて イキなカップルだね・・ きっと 熊本大好き人間だな
お城も 仲良く くっつく位置 があります
天気がいい日 ひとりで居ても 飽きませんよ
もちろん 二人なら なお 楽しい
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