典型的な団塊オジさんの自己満足的日記・・早期退職して悠々自適なのだ・・内容は・音楽雑論、マンドリン、二胡、百名山行、花と菜園、旅あるき、原子力と放射線、別荘暮らし、熊本で介護、猫の石松など・<府中市在住> リンクフリー
一昨年 すなわち 2019 年 の 元旦に
今年の 山登り 目標は キリマンジャロ ( 5,895 m ) と 決めていた
そのための 準備的 行動 として
2019 年 3 月に 「 アンナプルナ・ダウラギリ トレッキング 」
2019 年 7 月に 「 四姑娘山 (5,025 m ) 登山 」
2019 年 8 月に 足慣らし として 「 富士山 登山 」
直前には 「 高尾-陣馬 歩き 」 そして 鍼灸院 通い
5,000 m 以上の 高度経験 を 行い 10月の 本番を目指して 健康管理 にも 万全 を 期 した
ところが 9 月 に なって
「 10 月の 催行は 参加者が 少ないので 中止となりました 9 月に 編入を お願い したい」
しゃーない ! 少々の 条件が 変わっても やるとなったら なんとしても やろう !
と いうことで その後 あわただしかった ものの
9 月 20 日 ~ 29 日 の 「 ゆったり キリマンジャロ ( 5,895 m ) 登頂 10 日間 」 に 参加 

今回 登山準備で 特に 気に した のが 寒さ対策
これまでの 経験で
下着は すべて ノンコットン レーヤー * は ユニクロ の マイクロダウン オーバー は ワークマン の 工事用上着
いろいろ 調べると 頂上付近 は -20 ℃以下 に なるので これだけでは 不十分
( * レーヤー とは 下着と 上着の 中間部の 衣服 )
そこで 追加の 防寒着 を 購入
レイヤー は 命を 守る 大事な服 なので 一流の 登山家が 愛用 している パタゴニア社 の フリース
23,000 円 だったが これでも 安い !
登山中 のみならず この冬 ずっと これ一枚で 快適に 過ごせた
他に 通常 着る 上着 として ノンコットン で 厚手の ワーク シャツ 安くて 質実 剛健 の ワークマン 様々
また 手足の 防寒も 不安 だった が 重ね着 と ホッカイロ使用 で 対応 ( 結果として これは 失敗 ) 



2019 年 9 月 20 日
いよいよ 出発 ~
成田 集合 17 時 だから ゆっくり 昼 から
KO 飛田給 の 駅 は 夜の ラグビー ワールドカップ 日本対ロシア を 控え 異様 な 熱気
どこに 居ても TV 見て 応援する よー ・ 

乗る 飛行機 は エチオピア航空
Ethiopian の 大きな ロゴ は これまで 香港や カトマンズ では よく 見かけた
初めて 乗る ・
これで アフリカ に 行く ・
死ぬかも しれない 5,800 m に 登る ・
いつもの ウキウキ旅 で なく 少々 緊張 ぎみ 



2019 年 9 月 20 日
成田 発 21 時 25 分 エチオピア航空 ET-673 便
韓国 仁川 空港 向け 出発
2 時間半 ほど で 仁川 到着
ここは 昨年の エベレスト街道 トレッキング でも 経由した 勝手 知ったる 空港
アジスアベバ * 行き の 飛行機に 乗り換える まで 一時間
参加者 14人 と 添乗員の M 上 氏 に ご挨拶
トイレで 自画像 撮影
今の ところ 健康
* 英語では Addis Ababa アディスアババ であるが 現地アムハラ語で 新しい花の意味のアディスアベバ が 公用 










仁川 から アディスアベバ まで 13 時間 の 飛行機 の 旅
夜中だから 寝ていれば いいが 私の 大好きな 座席のディスプレイ による 世界 の 旅
あの 歴史の舞台 生の 地形 が 眼下に 広がる ! この 感動 ! あっという間に 黄海 を 横断して 中国大陸 青島 (チンタオ) がある 山東半島を かすめる
中国の 海の入り口 天津へ 黄河の河口が はっきり見える 昔から 堆積物で 流路が 頻繁に変わっていた所
天津と 北京は 近い 中国に 上陸すると すぐ北京
北京の南 華北平原 は 黄河文明 発祥の地 紀元前 7000 年 も 前 から
この付近 黄河文明を 引き継いで 歴代王朝の 変遷の舞台 三国志 五胡十六国時代
北京の 北の山々は 北方民族との 闘いの場所
この付近 宇宙から見える 唯一の 建造物 万里の長城 が 見える はずだが
なんと 北京の すぐ北に 砂漠が 迫っている この国は 地球温暖化の 恐怖は ないのか
黄河が 部首の 几 ( つくえ ) の 上辺みたいに 屈曲する部分 (オルドス ループ)
北に 広がる ゴビ砂漠は 世界 第4位の 広さ 黄河は ひたすら この付近の 黄土の土砂を 渤海へ 運ぶ
南に 世界 第二位の 内陸塩水湖 青海湖 北には ウランバートル イルクーツク そして バイカル湖
仁川 から アジスアベバ に 行く 飛行機の なか ディスプレイ 旅行 を 楽しんでいる
この付近 時々 寝ながら 見ているが 全く 飛行機が 進まない
日本が いくつも すっぽり 入ってしまう ほどの 広大な 砂漠 ゴビ砂漠に 連なって タクラマカン砂漠 ずっと 砂漠 砂漠
タクラマカン砂漠 の 入り口で 突然 空路は 南に曲がる これは・
この付近は 楼蘭 ロプノール 核実験 が 46 回 も 行われた ところ
タクラマカン砂漠 は 長径 1000 km 以上 平均 標高 は -150 m という 昔の 海が 干上がった のか
地形学的には インド大陸が 下から ガーンと ぶつかって ヒマラヤ チベット の シワ が 出来たんだな
パミール高原 を 突っ切って パキスタンへ この付近 フンザ渓谷 は ナンガパルバット山 を 見に いずれ 行く 予定
この先 アフガニスタン イラン の 国境沿い を 通って ホルムズ海峡 へ 向かう みたい 大丈夫 かいな・
この付近で 間違って 旅客機が ミサイルで 落とされた事件が 何回か あった よね~
こりゃ もう 寝て なんか いられない
相変わらず アジスアベバ に 向かう 飛行機 の 中
中国を 過ぎて これから 中東上空 に かかる パキスタン は イギリス領より 独立するころから ずっと(今も) インドと 抗争を 続けている
カシミール帰属 を 巡って 三度の 印パ戦争 つい この間 負けて 東パキスタンを 失った (バングラディシュ)
隣の アフガニスタンが ソ連に 侵略された時 アメリカ と共に ソ連を 撃退 したが
その後 タリバン や アルカイダ など 厄介な 勢力が 残った
核開発や テロ事件 などで 日米 と 関係 が 密に なったり 冷え込んだり
長く 政権にいる ムシャラフ大統領は 自国民 優先の 良いとこ取りの 多方面外交
例にもれず 中国との 関係を深め 一帯一路構想 に まる乗り
中国の借款で 国内の 交通網を 構築 グァダル港 を 整備中
空路 沿い に インダス川 が 流れる
つい さっき は 黄河の 上に 居た
黄河文明 インダス文明 世界の 文明 発祥地 を ハシゴ
モヘンジョダロ ハラッパ の遺跡 訪れてみたいね ・
グァダル港 上空 だから ぎりぎり パキスタン領内 この時期 イラン上空 は 通りたくない
ホルムズ海峡 から 少しは 離れているが 一番 緊張する ところ
アラビア半島 の オマーン に 上陸 少 し ホッとする
オマーン は 石油 天然ガスで 豊かな国 国内治安 も良く 政治的にも 中立独自の 善隣外交 こんな国が あって欲しい
オマーン の首都 マスカット を 経て アラビア半島 底辺部 を 進む
まっすぐ 陸の上を行くと イエメン に行く 一週間前 イエメンからサウジに ドローン攻撃が あった ここは 危ない !
イエメン は 宗教や 各国の利害対立で 代理戦争となっている 悲惨な国 ヨシ ! 海へ出て イエメン を避けた 一安心
アデン湾 は 沿岸の ソマリア による 海賊で 有名 飛行機だから 襲っては こないだろう
ただ この 近くの 紅海 でも たびたび 民間船 に 対する テロ攻撃 が 行われている
ホルムズ海峡 は 過ぎたが この先も 危ない ところ だらけ 緊張が 続く ところ を 通っている 思えば 遠く へ 来た もんだ
北の エリトリア から アジスアベバ そして 南の ケニヤ タンザニア に 連なる 大地溝帯 が 確認できる
こうしてみると 紅海 も アデン湾 も 大地溝帯 ( グレートリフトバレー ) だな
アフリカの角 ソマリア は 見る限り ほとんど砂漠 内戦も 続き 世界の最貧国に なっているのも 当然
ソマリアの 北 ジプチ は 港があって 古くから 交易で栄えた国 エチオピア の 陸の玄関口 でも ある
紅海に面する エリトリア は 専制君主の国 国連による 人権抑圧 ランキングでは 北朝鮮を 抜いて トップ
善隣の国 オマーン 紛争 内戦の国 イエメン 海賊と 貧困の国 ソマリア 人権無視の国 エリトリア 交易の国 ジブチ ・
あぶない ソマリア を 避けて ジブチ から エチオピア に入る 海岸部で ほんの少し ソマリア を 横切る が 
エチオピア は 高原地帯 雨も 多く 農業も 盛ん アフリカで 唯一 植民地に ならなかった 所以
エチオピア の 山岳地帯 を 進む
エチオピア は 広大な 国土が あるが 海 は エリトリア ジプチ ソマリア に 遮られている イライラする だろうね 
ジプチ港 は 地溝帯 に 面する 天然の 良港 だね 
仁川 から 12 時間 やっと アジスアベバ空港 に 向けて 高度を 下げ始めた
アジスアベバ空港 に 到着 緊張が 少し 取れて 眠くなった
航空路に かかる国に ついては 旅行後に 調べた もの
これまで 名前は 聞いていても まったく 知らない国 だった
その国の 概要 を 少 しでも 知って 旅行 以上に 興奮 した
裕福で 近代的 国家 も あれば 貧困と 内戦の 悲惨な 国も ある
エチオピア など 紀元前から 確固とした 国家を 築いている国も ある
エリトリア は 超 専制君主制 で ヨーロッパ向け 難民が 絶えない
ほとんどは 植民地から 独立する時から 民族対立や 近隣の国との 争い が 続いている
冷戦時代 西側 東側 の 代理戦争 になったり 近年の 中国 進出 に 晒されたり
まともな 国家に 成長する ためには 内乱など 政権争いは 避けられないが
国を思う 偉人 が 輩出して 国民一体 として 努力 しない限り 列強の 意のまま あるいは 代理戦争の場 となる
自分としては 何もすることが できない が
幸せな国に 発展することを 祈っている
2019 年 9 月 21 日
昨日 成田を 21 時 25 分 に 出発し 16 時間半 も かけて やっと
アディスアベバ・ボレ 国際空港 に 到着した
現地時間 7 時 45 分 初めて アフリカ の 地 に 立つ
3 時間後 には ここから タンザニア向け 出発する
その間 空港内 を 散策 


















2019 年 9 月 21 日
アジスアベバ・ボレ 空港
この空港は 例によって 中国の 協力(強力) 援助で この 1、 2 年 で 大きく リニューアルされた という
これまでの 長い飛行機の旅で エコノミー症候群に ならぬよう 乗り換え時間 の間 精力的に 歩き回る
私は 少々 疲れ顔 だが 若い 皆さんは 元気 いっぱい この先 ついて いける かナ ー ・
CNN のニュースで ラグビーワールドカップ
ホスト国の 日本が ロシアに 勝利 した ヤッター !
地球の 裏側で 喜ぶ 












さて エチオピア の アジスアベバ・ポロ空港 から タンザニア に向け 出発
飛行機 は 大地溝帯 沿い に 南下
ケニヤ を 過ぎて 途中で 赤道を 越える 我が人生 初めて 南半球 へ 侵入する !
船 だったら 赤道祭り で 派手に 騒ぐが 飛行機 だと あっという間
タンザニア に 入り 中心都市の ダルエスサラーム へは 行かず すぐ 近く の キリマンジャロ 空港 へ
ディスプレイ では キリマンジャロ山 が 3D で まじかに 見える 








2019 年 9 月 21 日 12 時 50 分
初めての 南半球 初めての タンザニア
キリマンジャロ空港 は タンザニア北部 アルーシャ という町にある
現在 天気晴朗 気温は 25 ℃くらい なんとか 快適
ここで タンザニアの紹介
タンザニア はアフリカの中でも 自然豊かな地 アフリカ最高峰のキリマンジャロが聳え ビクトリア湖などアフリカ三大湖に囲まれている 歴史は 太古の時代から すでに原人が住んでいた 近代は 他の国と同様 植民地時代 独立戦争 周囲の国との 抗争が 続く 1964年に 内陸部のタンガニーカと 島嶼部のザンジバルを 合わせて タンザニア連合共和国が 誕生した 当初 社会主義国を目指したが上手くいかず 数々の改革を経て 近年 民主化が進み 産業も発展 してきた 観光では 雄大な自然を活かした サファリパーク キリマンジャロ登山など GDPに 貢献している 私は キリマンジャロがタンザニアにあることを 最近初めて知った その他 タンザニアで知っている人といえば マラソンランナーの ジュマ・イカンガー 駆け引きなどせず 最初から 猛然と トップをきる走りっぷりは いさぎよくて 拍手 それで 最後には 瀬古や 宗兄弟に追い越されるところが なぜか日本で人気がある 所以 















空港がある アルーシャ から キリマンジャロ 麓の街 モシ へ 移動
駐車場で 見かける 車は ほとんど クロカン 日本車も 多い
タンザニア では 数少ない という 舗装 された 立派な 道路
車窓の 景色は これぞ アフリカ 











一時間ほどで モシ の ホテル " パークビュー イン "
おそらく タンザニア では 最高級 クラス
イギリス人 が 南方の 植民地に 自分たちのために 建てた
そんな 雰囲気 
















時間も あるので モシ の 街を 散歩
赤土の 舗道 は アフリカ 感 いっぱい
三輪トラック いいね !
日本車は ブランド品 だね
ハイエーストラック そして ダットラ カッコいいー
近くの スーパーを 訪れる
土産物が いろいろ 食料品 も ・
奥で パンを 焼いてる 
















♪ ここは お国を 何萬里
離れて 遠き タンザニア
サバンナに 陽が 落ちて
砂塵に 煙る 夕間暮れ
どう 書いても 詩に なるが 今 感じる のは アラビアの唄
100 年前 ヒットした 日本の 歌謡曲 が ぴったし ハマる
♪ 砂漠 に 陽 が 落ちて 夜に なるころ
恋人 よ なつかし の 歌を 歌おう
明日から の 厳しい 登山 を 控え
前夜祭 ビール の 飲み比べ 











2019 年 9 月 20 日~28 日 に 参加した 「 ゆったり キリマンジャロ (5,895m) 登頂 」 の 連載 を 再び 開始する
これまでの 記事は
成田を 出発 して 韓国 仁川 経由 ゴビ砂漠 、中近東の 上空を 越えて エチオピアの アジスアベバ へ
さらに 飛行機を 乗り換えて タンザニア の キリマンジャロ空港 に 到着
空港から 近くの町 モシ の ホテルに やっと やっと 着いた ところ
2019 年 9 月 22 日
タンザニア の モシ の ホテルの 夜が 明けた
バルコニー から キリマンジャロ が はっきり 見える
4 日後には あの頂上に 居る はずだ !
朝 早くから 入念な 登山準備
自前で運ぶ 荷物 、ポーターに頼む 荷物 、ホテルに残す 荷物 を 分ける
防寒対策 、高山病対策 など 服装 及び 所持品 の チェック
特に ペットボトル は 山岳地域に 持ち込めないので 要注意 !
ただ 途中の 昼食や 山小屋での 寝食は サポーターが みんな やってくれるので 楽
その分 5,895 m の 登頂の ため 最大限 体力を 発揮するのだ !
いちおう 登山前の 元気な 顔を 残 しておく
生きて 帰れなかった 人も これまで 多数 いたから ・ 












モシ の ホテルから マイクロバス で 約 2 時間
キリマンジャロ の 登山口 マラングゲート に 到着 した
やっと 歩ける ぞー !
はるばる 日本 から 無事 登山口 まで たどり 着けて
まずは \(^o^)/
リュック を エイヤと 背負う 動作が 軽快 




キリマンジャロ 登山口 マラングゲート に 居る
登山隊 の 人様は 日本から 添乗員も 含めて 15人 現地 スタッフ は サポーター、ガイド など含めて 40 人 程度
食事係など は 我々より 早く 着いて 準備 して おかなければ ならない ので 我々の歩き出しは 少し 送れる
待ち時間 の 間 元気な 皆さんの 表情を 撮る 3 人の 女性は 特に 念入り に 








ここに ミニ キリマンジャロ が ある
登山 できなかった人は ここで 写真 撮って ごまかす 手も あるが
ま お笑い だろうね
お笑い大好き の 私は 当然 積極 参加






キリマンジャロ 登山口 マラングゲートにて
さて 我々も 歩き始める か
その前に
全員 トイレへ
売店で 最後の 用品補充
国立公園 入域手続き
ガイド、サポータ の 紹介
全員で 記念撮影 













ブログを 書いている 現在 皆の 楽しそうな 表情を 見て 感じる ことがある
これから みんなの 顔が 苦痛に 歪む 大変な 試練 に 遭遇する ことに なる
屈託のない 笑顔 は タイタニック の 乗客 が 船内で パーティを 開いている 情景 と 重なる ・
幸い 全員 なんとか 帰還 してきたが 帰ってきた その 笑顔 は
試練を 克服した喜び と 部分的に 挫折 した 敗北感 が 混じり合って 複雑
こんなこと 言う 必要も ないか ・
2019 年 9 月 22 日 AM 10 時半
キリマンジャロ 登山口 を 出発 ー
待ちに 待った 山歩き
亜熱帯樹林 の ゆるやかな 登山道
皆さん はじけた ように 歩き出す
私は いつものように 一番 後ろ から
写真 も 撮り易い し
お昼は 先行隊 が 用意 して くれたもの
果物など 生もの は ウィルス の 不安 は 残るが
どうせ 私は ウィルスまみれ 帰ったら 徹底的に 調べよう
基本 私は 小食 持参 の サプリ 食品 が メイン
今日 歩くのは 4 時間くらいの 楽な 行程 




















樹林の中を 淡々と 歩いて 今夜の宿 マンダラハット に 到着
キリマンジャロ 一帯が 国立公園 なので ここまでの 登山道 も よく 整備 されている
ロッジの 外観も スマート 中も 清潔な 感 じ がする
着いてすぐ ポップコーン と 紅茶 夕食は カレーライス みたいな ・
今日は 4 時間の 歩行で 準備運動 みたいな もの
幸い 初日の 体調は 悪くない
明日に 向けて
たっぷり 睡眠 英気を 養おう 





















2019 年 9 月 23 日
マンダラハット の 夜明け
太陽の 光が 空気中の 長い距離を 通過すると 長い 波長の 光 (赤外線) が 目立つので 赤く 見える
こんな時に 朝焼け 夕焼け の 現象を 物理的に 説明 しても しょーが 無い
彦摩呂 みたいに 感性を 前に 出 して 叫ぶ べき
「 これぞ アフリカ ! 悠久の 自然の 営み だー ! 」 

朝 起きたら 洗面器一杯の お湯 そして 温かい紅茶が 出る
これは ネパールの 山行き と 同じ 西遊旅行社 の スタイル
朝食でも 飲み物は 添乗員が 日本から 持参した ほうじ茶な ど 選択 自由
私が 持参 したのは いつもの ふじっ子の 塩昆布 
朝食後の心配 だった トイレ も なんとか 許容レベル
テントで 寝ていた サポーター達 は すでに 出発準備 ほとんど 完
我々も 本日の予定 説明
今日の 行程は 標高 3,720 m の ボロンボハット まで 高度差 1,000 m を 6 時間 の 行程
元気 いっぱいの 写真を 撮って 出発 ~ 



ここから 道は 灌木帯 これまでの 亜熱帯林の中 に 比べて 太陽 が モロに 照り付ける
しかし 標高は 2,800 m ~ 3,000 m なので 風は 涼しい 歩くのに ちょうどいい 気温 
歩き始めて 1 時間くらい 正面の キリマンジャロ 本峰に 雲 が 絡み始めた
キリマンジャロ の天候は だいたい 朝 晴れて 昼から 雲に覆われる のが ふつう みたい 


" 風に吹かれる雲 " から " あたりに漂う雲 " に なってきた
時々 雲間から キリマンジャロが見える !
随分 近くなった 頂上の 氷河は 年々 減少 している とのこと 


「キリマンジャロ登山」 2 日目
マンダラハット から ボロンボハット に 向かって 楽 しく ? 登山中
雲が 絡まっている 正面の 本峰は 外輪山が 近くに 迫って 見えない
灌木帯 の 木 が だんだん 背が 低くなって サバンナ状態 に なってきた 

阿蘇の 米塚 みたいな 噴火跡の 山が 見える
キリマンジャロ は 阿蘇に 似た カルデラの 中に ある
草原に 咲く花 名前は 分からないが なんとも アフリカ 的
ポツン ポツン と 咲いて お花畑 の 雰囲気 は ない プロティアの花





我々は 今 外輪山を 登っている
それにしても 傾き は 緩やか 若い人は 早く 急勾配 を 登りたくて イライラしている模様 

休憩している 前を 現地の ポーターの人 恐ろしい スピードで 通り過ぎていく
遠く には アフリカ 第 5位 の 山 メルー山 ( Mount Meru ) 4,566 m 




2019 年 9 月 23 日 「 キリマンジャロ 登山 」
マンダラハット から 4 時間くらい 歩いた ところで 休憩中
「 お~い カメレオン を 見つけたぞー 」 と 添乗員から
見ると 確かに カメレオン
案外 小さい ね 手に取っても 暴れたり 逃げる 気配も ない
写真 撮りまくり 







カメレオン は お花畑に集まる 虫などを 狙っているらしい
ブッシュ的 お花畑 も たくましく アフリカ 的 


休憩後 また なだらか 登山道 を 歩く
この付近 標高 3,400 m くらい
高山病 対策の 高度順応 と しては ダラダラ 歩き も いいかな ・ 

13 時 頃 昼食
ベンチ や トイレ も ある 昼食処 にて
登山道は " 何時に 出発して ここで 休憩して ・ " など 当局から 厳しく 設定されて いるよう
ま いーケド 



ダラダラ 登山道 を 辛抱強く 歩く 歩く 歩く
やっと 少し 手ごたえ イヤ 足ごたえ のある 坂に なって きた
外輪山 の 淵にある という 今夜の宿 ボロンボハット も 近い 

マンダラハット から ボロンボハット に 向けて 登山中
もう 5 時間 近く ダラダラ坂 を 歩いて来て やっと 山登り の 雰囲気 が 出て来たな と 思ってたら
ハイ あそこが 今日の目的地 ボロンボハット でーす
立派な バンガロー小屋が 多数 見える 



やっと というより 余裕を 持って ボロンボハット に 到着
山小屋の 規模から 見て ここは キリマンジャロ登山 の ベースキャンプ だな
着いて 恒例の 紅茶 と ポップコーン 



ジャイアントセネシオ が ニョキニョキ と
太い幹の 空洞を 昼間 太陽で 暖めておき さらに 表面の 羽毛で 夜の 氷点下に 耐える という 



夕食までの 時間 付近 を ウロウロ
標高 3,720 m だから ほとんど 富士山 頂上
夕刻 になって 雲が 降りて 下は 雲海 マウェンジ峰 が まじかに 




ズッキーニ スープ と バギア (豆コロッケ) の 夕食
添乗員の M上さん 食事に 気を使ってくれるが いかんせん 私は 小食
なんとか スープだけは 飲み干す あとは サプリ
二日間の 歩き と 3,700m の 高度が 71才の身体 を じわじわと 痛めつけ始めている
最後の 頂上アタック は おそらく 生きるか 死ぬか その時の ために
体力温存 を ・ 



2019 年 9 月 20 日 ~ 29 日 に 参加した 「 ゆったりキリマンジャロ (5,895 m) 登頂 」 の 連載 再登場

2019 年 9 月 24 日
登山口から 二日かけて 歩いてきた
ここは ホロンボハット ( 3,720 m )
ホロンボハットは 大規模な 山小屋が たくさん
キリマンジャロ の ベースキャンプ だな
朝から 雲 一つ ない 日本晴れ ( アフリカ晴れ ? )
キリマンジャロ 本峰 ( キボ峰 ) が すぐそこに 見える
今日は ここで もう一泊 滞留する
高度順応 を 兼ねて 近くの ゼブラロック ( 4,100 m ) へ ハイキング
高低差 350 m 程度の 山歩き 脚力は 大丈夫だが すぐ 息が上がる
酸素が 欲しい ー 














2019 年 9 月 24 日 ホロンボハット 滞留
高度順応を 兼ねて 4,100 m の ゼブラロック へ ハイキング
一時間半 ほどで 特徴ある 岩肌がある 山頂に 到着
ここから 皆さんは 先のコブを 登って 帰るが 私 一人 先に ガイドと 共に 下山
この 理由は 少しでも 体力を 温存 して おきたい ため
明日は 標高 4,700 m の キボハットまで 6 時間 の 歩き 夕方 2 時間 程度の 仮眠の後 夜11 時から 登頂アタック
徹夜で 登頂を 果たした 後 下山 その日のうちに キボハットを 通過して ここ ホロンボハット まで 帰って 来る
これから 超人力 を 試される 二日間
71才の 老体に とって まさに 生きるか 死ぬか の 大試練 








私だけ 早く帰って来て ホロンボハット 周辺を ウロウロ
帰ってきたみんな と 軽食
皆さん 元気 いっぱい 私は だんだん 不安になる 







明日からの 地獄の 最終アタック に 備え
添乗員の M上 氏より 深夜 登頂に 向けた ブリーフィング
そして 改めて スタッフの皆さん を 紹介
歓迎の 歌と 踊り を 披露
一緒に ダンス しよう と 思ったが
緊張で 心は 重い し
富士山頂の 標高では 息も 切れる 





























ホロンボハット 二泊目の 夕食は カレーライス
わざわざ 日本から 持参 した という これは うまい !
だんだん 緊張してくる 私と 違って 皆さん 屈託なく なごやか
手品 披露したり 楽しい おしゃべり ・ 


夕食後 外に 出てみた
雲海の 向こう 夕焼けの 地平線は なんとも アフリカ的
無風 寒くも ないので ずっと 外に 居る
トイレに 通ったり 歯磨き を したり 



やがて 満点の 星空
南半球で 見る 初めての 星空 は ・
いや ・
いくら 書いても この 感動 は 説明 しきれない ・ 



2019 年 9 月 25 日
ホロンボハット を 出発 ー
今日は キボハット ( 4,700 m ) まで 6 時間の 歩き 小休止の後 夜11 時から キリマンジャロ頂上アタック
翌朝 登頂後 その日のうちに キボハット 経由で ホロンボハット まで 帰って来る まさに 地獄の 行程
ただ この 二日間 が 今回の キリマンジャロ登山 の ハイライト !
今日も 朝から いい天気
正面に 目標の キボ峰 を 見ながら ポレポレ (ゆっくり) で 登り 始める
やがて キボ峰 を 望める ビューポイント
ここで 思いっきり 写真を 撮る
生きてる 最後の 写真に なるかも しれない し
すぐに 雲が 巻き キボ峰 が 見えなくなる
頂上の 氷河は 温暖化で だんだん 少なくなっている という
今年が 最後かも という 話も ・
撮って よかった !
年賀状に 使える この旅行の イチオシ写真が 撮れた 














ホロンボハット から キボハット までは 標高差 3,700 m ~ 4,700 m 距離 10 km
植物限界 に 近い 草原を ダラダラ 登る
相変わらず 正面に キボ峰 が 見え 隠れ
気温も 下がり 足の運び も 苦しく なるが たぶん メンバーで 一番 苦しいのは 私のはず
この時点で 遅れる ようでは 明日の 登山は まず 無理 必死に ついていく
防寒着を 追加して 水分補給 山登りベテラン として 対応の 発揮どころ
昨日からの 緊張が 少しは 効果 してる か 














ホロンボハット から キボハット へ 向けて ダラダラ登り が 続いている
傾斜が 少し きつく なるのは 息が 詰まる ように なるので すぐ分かる
キリマンジャロ の外輪山を 越える ところが ラストウォーターポイント
水場だが 今は ほとんど 枯れている ここで 休憩 




ラストウォーターポイント から 一登り して 峠の ビューポイント
ここから サドル と 呼ばれる 山岳砂漠地帯 となる
そうだ ! これこそ 私が " キリマンジャロ に 登りたい " と 思った 景色だ !
西遊旅行 ホームページ の 写真
残念ながら 主役の キボ峰 は 雲に 巻かれて 見えない
砂漠の 一本道 登山路 は 見えるので なんとか 撮る
この先 死ぬかも しれないので キリマンジャロ 証拠写真 として たくさん 











サドル と 呼ばれる ところは 火山の カルデラ だな
外輪山を 越えると やや 下って そのあと ほとんど 平らな 道が しばらく 続く
そのあと いよいよ キボ峰の 裾野に 取り付く ゆるやかな 登り に なる
このあたりから 試練の 始まり
まず 寒い ! 夕刻になり 陽 も 無くなって きたので 体感温度は -7 、8 ℃ か
標高は 4,500 m くらい 7 月 四姑娘山登山 で 5,000 m 超は 経験 しているが
あの時は 一瞬の 頂上滞在 今回は まだ 裾野に 取り付いた ばかり
息が 苦しいのは いつもの通り だが 脚が スイスイと 動かなくなる
1 歩 2 歩 と 数えながら 100 歩 歩いたら 30 秒 止まって 息を 整える
皆さん 話し声も 無く 黙々と 登る
私は なんとか みんなに 遅れない よう ・ 













2 ヶ月前 キリマンジャロ の 練習登山 として チベットの 四姑娘山 ( 5,025 m ) 登山に 参加した
あの時は 初めての 5,000 m 超なのに 拍子抜け するほど 楽だったし 楽しめた
それに 比べて 今 4,700 m 付近 を 歩く この苦しさ は なんだ !
落ち着いて 考えてみる
あの時は 7 月 5,000 m の 頂上でも 気温は 8 ℃くらい 雨は 降っていたが 風は 微風
たっぷり 寝た 4,300 m の アタックキャンプから イッキに 頂上に 登って サッと 下りて来た
今回は 気温 - 8 ℃くらい 風は 普通 高度 3,700 m から 4,700 m へ 単純な 登り
やはり 一番 苦しいのは 寒さ 顔 など 外に出ている部分を 覆わないと 痛くて しょうがない
ふつう 砂漠の 風は 熱風 だが ここでは 恐ろしく 冷たい そし て 乾いた風 が 吹きつける
これまで どんな 高い山でも 歩く時は 暑い ので 比較的 放熱タイプ の 衣服 で いた
必死に 歩いても 身体が 温まらない状態 は 急激に 体力を 奪う 危険な状態 ということを 初めて 体感 した
明日の キリマンジャロ 頂上は -20 ℃ にも なるという
防寒具 と ホッカイロなど 総動員の 必要 あり か ・
それでも ここが やっと キリマンジャロ の アタックキャンプ
苦しみながらも 余裕の 表情で キボハット 到着 














夕食後 そそくさと トイレ 歯磨き
18 時頃 寝袋に入ったが 起床予定 は 22 時
温かいので 少しは まどろんだが 緊張で 深い眠り ではない
いつもの 生活では 2 、3 時間 寝て 起きる なんて 絶対 できないが
周囲の 騒がしさで なんとか 起きる
朦朧と しながら 出発準備 はたして 身体が 持つ だろうか ・
不安は つのるが もう 采は 降られた 行く しかない !
2019 年 9 月 25 日 23 時 キボハット の 山小屋 を 出発 






2019 年 9 月 26 日 5 時 30 分
標高 5,685 m の キリマンジャロ ギルマンズ・ポイント に 到達
この間 6 時間くらい 我が人生 最大の 身体に過酷な 試練
出発して 2 時間くらい は 真っ暗な中 気力で 脚 を 進める
途中から ギザギザ道の 急登 ゆっくりに ギアを 切り替えたが 他の皆は ペースが 速い
突然 サポーターチーフ が 私の 手を 取り ポレポレ(ゆっくり) と 言いながらも 無理に 引っ張り上げる
当方 いつもだったら 休み休み 登るのだが 息を 整える 間もなく 無理に 足を 進める 苦しい !
ほとんど 意識がなくなり 足元が ふらついてきたので 手を 振りほどいて 座り込む
ほどなく 息継ぎは 楽に なったが 猛烈な 寒さ が 襲ってきた
手と 足の 感覚が なくなる
防寒対策 として 手袋と 靴の 中に ホッカイロを 入れていたが 全然 暖かくない !
このまま じっとしてたら 確実に 死ぬ ! サポーターチーフが 防寒着の 袖を 伸ばして 手を 包んでくれる
先ほど 一緒だった 元気組は 先に 登っていったが 後続も 来ない おそらく 脱落者が 出た かも
標高は 5,500 m を 越えているが 幸い 頭は はっきり している 身体は だるいが 筋力は 残っている
息が 落ち着けば 歩く 気力は ある とにかく 立ち上がって 目の前の 坂を 一歩 また 一歩
ひょいと 目の前に 人だかり 




キリマンジャロ の 主な ピークは 三つ ある
一番 高い ウルフ・ピーク ( 5,895 m ) 二番目の ステラ・ポイント ( 5,730 m ) 三番目の ギルマンズ・ポイント ( 5,685 m )
下の絵で 見るように 全体で 見れば みんな頂上 富士山の お鉢みたいな もの
ギルマンズ・ポイント まで 来れば 一応 " キリマンジャロ 登頂に 成功 した " と 認められる
登頂証明書 も 出る
いちおう サポーター と 一緒に バンザーイ !
証拠写真 を 撮る 

ここから ステラ・ポイント を 経て 最高地点の ウルフ・ピーク に 行くには 標高差 214 m なだらかな 道を 約 1 時間
脚力 としては たいしたことはないが 標高 5,800 m の 地点に 2 時間 近く 居るのが 問題 なのだ !
これまで 亡くなった人は ここの 途中で 突然 倒れた人が ほとんど と 聞く
ここまで 来れた 喜び で 気力は 満々だが この先の 挑戦 は ギブアップ を 決断
私の 山登り スタイル は 無理や 無茶を しない
登りは 休み休み マイペース 天気や 体調が 悪くなれば 躊躇なく 引き返す
だからこそ 単独登山 でも 事故なく 踏破を 続けて来れた
添乗員の M 上 さんも 「 下りた方が いい 」 との 指示 ( = ドクターストップ )
さっき 登っていた時の 私の様子を 見れば そう言う のも 当然 ウルフ・ピーク を 目指す 皆さーん
がんばって 行ってらっしゃい ー 
ギルマンズ・ポイント ( 5,685 m ) に 着いて しばらくしたら 地平線の 雲間から 日の出
いちおう 登頂 に 成功 し 体調 も 問題ない ので
この わずかな 至福 の 時間
じっくり 味わう ・ 












ギルマンズ・ポイント から 引き返すのは 4 人
私を 含めた 年寄り グループ
その前に 5,100 m 地点で 引き返した 人が 一人 いたそう
皆さん ここまで 来れて 満足の様子
しかし 長く ここに 居る のは 命の危険
一刻も 早く 酸素の濃い 下界に 下らなくては ならぬ 
下り は 富士山と 似たような 砂走り
プライベート サポーターの ジョン君 が 脇を 支えて くれるが テンポが 早い ので 息が上がる
目の下に キボハットの 小屋が 見える が
とにかく ポレポレ で ・ 
標高 5,000 m では 下る 時も 休み休み
正面には マウェンジ峰 ( 5,151 m )
ふり返ると ギルマンズ の 岩峰が 青空に 映える 


私は 脇を 支えられて 下りて来たが 他の 三人は 悠々と 余裕で 下りている ?
いや ! 休んでいる時の 表情は 今にも 死にそう
そうだ ! オキシメータで 血中酸素濃度を 確認 しなければ ならない が
今さら ・ 



ヨレヨレで キボハット の 山小屋まで 戻ってきた
予定は ここで 朝食を 食べて すぐ ホロンボハット に 向かって 歩き出す はずだが ・
ウルフ・ピーク を 目指 した メンバー が 帰ってくるまで 4 時間 くらい 待ち時間 が ある
寸分を 惜しんで 寝袋 で 仮眠 
騒がしさ で 起きたら ウルフ・ピーク 組 が 帰って来て 朝食中
すでに ここを 発つ 支度も しているので こちらも あわてて 準備
歩き始めたが 全身 ダルさ で 固まって しまっているよう
" マイペースで 歩きます ! " と 宣言 して 後ろから ゆっくり
ガイドの ジェラルド が 一緒に 付いて くれる 
途中の サドル 来る時は 感動 しっぱなし だったが
今は 南極点 初到達 を 目指すも アムンゼンに 負けた スコット隊 の 心境
絶対 足を 止めないよう 頑張っているが その 容貌 は ゾンビ の 歩き方
気を 紛らすため 一人 付いてくれる ガイド の ジェラルド と 英語で いろいろ 話す
タンザニアの 有名人は ? ここで 人気の 職業は ? そうだ 日本のダンスを 教えてあげよう !
ゾンビの 歩き方でも 手で リズム とれば " 髭ダンス " 風 に 前に 進む
ベースの リズムを 大きな 声で 口ずさみ ながら ・
この 5 時間 写真 撮る 余裕も ない
途中 倒れなかった のは これまでの 準備 ( 四姑娘山 登山など) の おかげかな・
自分 を 褒めて あげたい
そして なんとか なんとか ホロンボハット に 到着
" ボロボロ の 帰還 " という 言葉 が ふさわしい
夕食は 身体 が 全然 受け付けず
オレンジジュース の 水分補給 のみ
夜中 危なく 漏らしそうになり 慌てて 入口前で 処置
ひょっとして このまま 死んでしまう のでは ・ マジ 感じる
夢の中で 三途の川 と 賽の河原 が 
2019 年 9 月 27 日 ホロンボハット の 朝
昨日 そして 一昨日の " 身体の 痛めつけ " で このまま 永久に 動けない のでは と 思って いたが
なんとか 生きていた らしい !
景色が 白っぽく 見えるのは 白内障が 進んだ ためか 目ヤニ の ためか
それとも まだ 夢の中 ? まさか ここは あの世では ないだろう ね
身体の 節々が ぎこちない が 筋肉が 少々痛い ので たぶん 現実の 世界に居るの だろう
広場では これから 登る 登山グループが サポーターと 一緒に 大騒ぎ
我々が 昨日登った キボ峰 は また 来いよー と 泰然自若 で 見送っ てくれる
「 ウルフ・ピーク トライ で また 来たいが 次は 絶対 死ぬ だろう
ずっと 見守って くれて ありがとう ! 」 



今日の 行程は 行きの 二日分 登山口 の マラングゲート まで 歩き ホテル に 戻る
昨日に 続き 歩き始め から マイペース宣言 後ろから 一人 ついていく
また ジェラルド とも 一緒
途中 行き で 泊った マンダラハット を 経て 雨が 降り出す
なんとか 元気 だったので 他の 皆さんとは 離れたり 付いたり
ほぼ 一緒に 登山口 まで 帰る ことが 出来た






行きは 4 泊 も かけて 登った 道を 1 泊 2 日で 駆け下りて? きた
というより この 長い キリマンジャロ 登山ルート を 苦しみ ながらも 歩き とおした 達成感
感激 で 涙顔 だが 撮る 方も 泣いている
ま 泣こう が 笑おう が どうでも いい
とにかく カンパーイ !
タンザニア の ビール ワイン は 美味い ねー 









15 人が 無事 登山出来て 乾杯のあと ガイドや サポーターの スタッフ との お別れ式
まず 一人一人に キリマンジャロ 登山証明書 が 渡される
証明書には 登った箇所 ( ウルフ・ピーク ステラ・ポイント ギルマンズ・ポイント ) の スタンプ が 押してある
各々 金メダル 銀メダル 銅メダルに 相当する
私は 銅メダル だが メダルを 取れた だけでも うれしい ! 





授与式の あと 代表 ごあいさつ そして お決まり の 歌と ダンス
ホロンボハット での ダンスは 息が切れたが ここでは 当然 みんな 盛り上がる




日本人って いうのは あまり 感情を 爆発させない
だから みんなで 楽しく踊ろう という時 躊躇 して カッコ悪い のでは ないか
今 みんな キリマンジャロ登山を 成 し遂げて 喜び で いっぱい
こんな 時の ダンス 実に サマになってる ! みんな 上手い !
私 も じっと して いられない 気分
撮りがら も 輪の中に 加わる 










キリマンジャロ登山を 完遂して お祝いの 踊り 真っ最中 であるが
私も カメラを 誰かに 渡して 踊り の 中心に 入る
昨日も 今日も ガイドの ジェラルド と ゾンビみたいに 踊りながら 歩いて きた
ここで あらためて " 髭ダンス " を みんなの 前で 披露
もともと タンザニア土着の ダンスは どじょうすくい 的
髭ダンス と ピッタシ
手拍子だけの 伴奏でも ノリノリ
みんな 踊りを止めて 我々に 注目ー
ウケて よかったー
今は 亡き たかしま先生 と 志村けん に 感謝 








34 人 の 現地サポーター の みなさん
本当に お世話に なりました 

登山口から 帰る 途中 現地の 土産物屋 に 寄る
タンザニア の お土産 といえば キリマンジャロ コーヒー カシューナッツ
ここは 工芸品 が 多い
絵画や 動物の木彫 狩りに使う モリ なんかも
私は シマウマ毛皮で 作った 小さな太鼓 を ゲット 






ホテル への 帰りは いつもの 街角 ウオッチング
キリマンジャロ 観光で この付近の 街 は 潤っている よう 






道路は 広くて 舗装されているので 車は 多い 日本車も 多い ね
突然の 割込み で 我々と しては びっくりするが 運転手 は 平然
あまり スピードを 出さないよう 時々 道路に 凸凹を 作っている 




バスの 中から モシの 街角 ウオッチング中
ネパール 行っても チベット 行っても 感じることは
どんな所でも 人は 住んでいる
ここで 生まれて 一生 ここで 生活する人も いる だろう
国の 体制 も 違うし 生活レベル も 様々
みんな 幸せ なのかな ?
ガソリンスタンド は 日本タイプ だね
家庭菜園 みたいな のも ある
制服の 女子高生も
案外 それぞれ 満足 して 生きている のでは ・ 







モシ の ホテル 夕食前に 改めて
「 キリマンジャロ 登山 完遂を 祝して 乾杯ー 」
さっき 登山口 で お祝いを したばかり だが
何回 やっても いいもんだ
それだけ 充実した 頑張った 苦しかった
そして 楽しかった 山旅 





「 キリマンジャロ 5,895 m 登山 」 の 連載が 再び 登場
2019 年 9 月28 日
昨日 の 下山の喜びから 一夜 明けて 今日は アフリカ 最終日
登頂の ご褒美 として 午前中は アルーシャ国立公園の サファリパーク を 見学する
ホテル前に デーンと 着いたのは 10 人乗り サファリ 専用車
メイド イン ジャパン の ランドクルーザー なのは 嬉しい !
トヨタ の車 は この国では ステータス
エンブレム も 誇らしげ
一路 アルーシャ国立公園 へ 










アルーシャ国立公園 は 総面積 137 平方km
アフリカの 国立公園では そう 大きいものではないが
園内に メルー山 ( 4,566 m ) を 配し 湖沼や 火口平原 ( ンゴロンゴロ ) も 多い
火山帯 森林帯 サバンナ帯など 多様な 生態系を 含んでいる 


入口ゲート名は ンゴンゴンガレ ゲート
スワヒリ語は ン で始まる言葉が多い
しりとりゲームをやっても 決着がつかない
挨拶は簡単 こんにちは は ジャンボ ! ( Jambo ! ) 

公園には 像も居るが なかなか 見かけないそう
入口に 実物大 ( 当たり前だ! ) の 象の はく製 が 置いてある
これだけで もう気分は アフリカ ( とっくに来ているが・ ) 




さー サファリ カー の 天井を 上げて 動物ウォッチング の 出発~ !
写真 撮るのが 目的だから ゆっくり 走ってくれる
シートベルト しなくて いいのが なぜか うれしい !
座席に 立って 上から 顔を出す
カメラを 望遠にして 双眼鏡 がわり 






すぐ クレーターの平原アフリカの サファリでは ビッグ5 と 呼ばれ る動物が ウリ
ライオン 象 ヒョウ サイ バッファロー
まずは バッファローを 見せたい みたいだが 我々 日本人 としては
ワー キリン だー シマウマ だー
ゴリラ ( ヒヒ? ) も いる イボイノシシ も ・ 






ジャングルの 道を 進む と
ブルーモンキー パブーン ( ヒヒ ) コロブス など の 猿の仲間
よく 見えないが 数々の 鳥たち 


ここは ングルドット クレーター の 展望所
私の目では ほとんど 動物は 見えないが
皆さんが 言うに バッファロー が 群れている そう
カメラの 望遠では よく 撮れた
すごいね この バカ〇カメラ は ! 







森を走ると バンビ かな ?
髭爺の 顔の 猿は アビシニア コロブス
誰かに 似ている 









途中の クレーター草原
「 いっぱい 動物が いる ! 」 と みんな 騒ぐ
バカ〇カメラ の 倍率を 最大に して 探す
いたいた ! イボイノシシ !
バッファロー も たくさん
けっこう アップが 撮れた 









タンザニアでも ここは キリン が たくさん 生息している所 らしい
確かに ! キリン が 縦横に ハネまわって いる
まだ 背が低い 子キリン カワイイ ね ! 
















やがて モメラ湖 と 呼ばれる 湖沼群
公園内 で 車から 降りれる 場所は 限られている
小モメラ湖 で 車を 降り 鳥たちに 近づく 







グラントガゼル も いる
骨が 飾ってあったので 遊ぶ
動物側から 見れば
" アホな 人間だなー " と 思ってる に 違いない







小高い 丘の上で お昼の 弁当
キリマンジャロでは 疲れすぎて 食欲が 無かった が ここでは
今日 ほとんど 身体を 動かしていないので また 食欲がない 



次のページ
プロフィール
Author:・・NG
普段はN爺と呼ばれています
GはGuitarのGなんですけど
最近の記事
カテゴリー
月別アーカイブ
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
この人とブロともになる
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
このブログをリンクに追加する