この楽器の名前です

弦は太いのが6本、フレットはありません

コントラバスと比べてこの大きさ、かなり大きいです

この楽器は 通称 「よしみちゃん」 と呼ばれています ホワイ ??
ぽちょ~ん とした形から すぐ分かりますよね・・
ほら 美空ひばりの歌がうまい・・某有名演歌歌手

弾くときはこんな感じ
6/3のMandolin演奏会で披露します ぜひ音を聞きに来てください
5月10日から熊本の慈恵病院の「赤ちゃんポスト」の運用が始まる
しかし、マスコミにこれだけ取り上げられると はたしてポストを利用する人がいるだろうか なんて余計な心配をしたくなる
写真を撮られて週刊誌やワイドショーの記事になったり、逆に目立ちたがり屋が、売名に利用したりとか・・
そこで、近所に住んでいるというよしみで 真面目に利用したいという人のために、慈恵病院への行き方を教授したい
(利用することがはたして真面目にあたるかは別途議論するとして)
周囲の状況

仏舎利塔のある花岡山から見た写真で 中央にある高校より右上へ200m位いった所が病院 この付近は住宅地と商業地が閑散と混じった地域
行く時間
人目を避けるには夜中が良いと思われるが、現場の雰囲気から夜はかえって目立ち、パパラッチの餌食になる 産婦人科もある総合病院なので昼間大勢の人が出入りしている時間帯のほうが良い
熊本駅、交通センターからだと まず 市電またはタクシーで段山(だにやま)電停あたりまで行く

この付近の電柱にはほとんど行き方が表示してあるのでこれに従って歩いていく

やがてよく見る建物に行き着く ポストは玄関正面を右の方へまわった所にある

こういった記事を書くこと自体が不謹慎だとクレームがつくかもしれない
しかし、切羽詰った状況の人には少しでも手を伸ばしてあげたい・・
現場の表示にもあるように、本来 育児放棄の解決にはいろいろ方法がある
マスコミにもてはやされない地味な方法である

"こえつぼ" と言うところもある
「こえ」とは 人糞を肥料とする すなわち下肥(しもごえ)のことである
50年前はこの付近一面 田んぼ[たんなか]と畑だったので 下肥を蓄えているところがあちこちにあった
今や保存文化財になってもおかしくないこの"こえたご跡"が残っているのを近くで発見した
そこは 地下水がじわじわ滲みだしていた所で 水溜り[じゅったんぼ]も多かったが 現在はアスファルトの道路で車も頻繁に通っている
[ ] は熊本弁

今は土で埋もれているが 外観は現役の頃とほとんど変わっていない
水洗でない昔の人糞は 粘度が高く しばらく溜めておくと表面にゴワゴワの層が出来て 子供くらいが乗っても大丈夫だった
ただ 車とすれ違う時の自転車の人が止まって足を着いた時 ズボッとはまったのを見たことはある
あれは小学校2年のころであったかな・・
最後に想い出の童謡あたりで締めくくりたかったが
ふさわしい曲名がでてこない・・・・
近々 中国 大連での アカシア祭りのイベント(Mandolin演奏会) に参加することになった
昨年の3月 大連を 個人的に訪れたので、行く前に 思い出しながら旅行記を書くことにする

大連駅前、どこでもそうだが 東京のオリンピック前という感じで何かと工事中

高層ビルの脇には お祭りみたいな露店が集合

その時は 二胡を求めて楽器店めぐりを・・
情報誌の 大連WHENEVERの編集長カズ氏にはいろいろお世話になりました
人気の 蜜蜜 は そのころスマートでしたね・・・

大連のことなら 彼のブログ「大連は今日もいい天気」を参照下さい
町内に小さな醤油醸造所がある
そこの売りが 卵かけご飯専用の醤油

場所は鹿児島本線島崎町の踏み切り近く 宣伝の旗がたなびいている

製品は こんなもの 昆布だしが入ってて冷奴などにも美味しいそうだ
ちなみに G3流おいしい冷奴の作り方
豆腐は絹でも木綿でもお好みだが よく冷やす
ごま油を一滴たらし すり生姜少々、粉かつおぶし少々
薬味としては きざみおおば 小ねぎ 山椒の葉などどれかを少々
食べる直前にこの卵ごはん醤油を上品にかける
この醤油は東京でも地方特産品売り場で見かけるので 興味のある方は一度お試しください
母の日には、本人が喜ぶいろいろな贈り物などを 子として人並に考える
しかし、現在の介護という事態を鑑みるに やはり物より手間を贈るほうが良いのでは と考えた
結果 "付近をさろく" 手間をプレゼントすることとした
そこで借りたこの車椅子

玄関のたたきにもぴったり入る 介護保険適用で借り賃 一日100円

折りたためるので普通車のトランクにも楽に入るそうだ

欠点はブレーキが甘いこと
ハンドもフットも結局は金具でタイヤを触っているのみ
せめて自転車並みのドラム式かリム式にしてくれればねー

さっそく母を乗せて町内の"さろきんぐ"開始
坂道を降りる時は、ほんの緩やかな所でも後ろ向きに進まなければならないし、登りの押す力は、マンドローネを運ぶ比ではない
苦労はしたが、本人にとっては何十年ぶりかのセンチメンタルジャーニーになって満足してもらえたのでは と思っている
熊本市の礎を築いた 加藤清正 の菩提寺である本妙寺を訪れる

慈恵病院の裏あたりから歩きはじめる
本妙寺下のささやかな商店街を過ぎ、階段を登ると立派な門がある

本堂の門かと思いきや、ここから参道が始まる 両側はお寺さん風建物が・

これが延々と続く 坂も急になる 振り返ると眺めが良い こりゃ完全に山登りだ

大汗かいてやっと本堂らしきところに着く

この廊が加藤清正のお墓らしい 合掌・・!

しかし本堂の裏からさらに階段が続く 上には銅像があるそうだが サンダルでは もうGive-up

"熊本城と対峙する場所に"という清正の遺言どおり 本堂から熊本市の眺めが良い

後の藩主である細川家の菩提寺がある立田山も良く見える

巨人軍の川上哲治と一緒に捕手をやっていた吉原選手もここに眠る
感想
お城の規模も大きいがお墓の規模もとてつもなく大きい・・!!
熊本市に居るからには ほとんど市民の義務として
金峰山には登らなくてはならないのだ・・!

自宅から はるかに遠い 標高666m
しかし 昔登った道を探して登ることにした

10分で登山口の"めがね橋" 数年前にリニューアルしたようだ
古い橋の橋脚には空間があって 小学生の頃そこに入ってよく遊んでいた
今みると20m近く高さがあって怖い よくやったものだ

登山口あたりはずいぶん開けていた
昔はうっそうとした森に覆われ
昭和30年にあの電柱の所の木で首吊り自殺があったのを
古い人なら誰でも知っている

以前の広大なみかん畑はすべて墓地になっていた

昔通った道の雰囲気が残っているとほっとする

この付近全山が竹林
独特の空気が漂っている
筍はいくら採っても採りきれないと思われる

一時間歩いてやっと金峰山の本峰が近くなってきた

この石は、昔は登山道の横からドンと突き出していて"カバ石" と呼ばれていた
道を広げるために取り除こうとしたが、多分なにか"たたり" でもあったのではなかろうか 脇に置かれていた
近くに小さな祠が建てられていた

2時間歩いて振り返ると、もう標高は花岡山よりも高い
あの麓からずーっと歩いてきたのだ

ほどなく金峰山本峰の脇の"大将陣" に着く
ここにある農家
これは40年前と全く変わっていない
ここまで登山というより"さろきんぐ" に近い
今日は頂上からの景色も良さそうだ
つづく
家からも見えた 頂上直下のTVアンテナ群

頂上ではまず御参り 5000回以上御参りした人もいるようだ

東方のながめ 熊本市全域、九州山地 晴れすぎて景色が白っぽい

少しアップにしてみる 熊本城 立田山 熊本空港 阿蘇山 雪の久住山

南方の眺め 坪井川 白川 緑川 市房山 八代海 はるかに霧島連山

南南西には有明海が 熊本港 三角半島 天草の山々

西にどっしりと 島原の雲仙

NHKはここでも一等地を占めている

アップにすると普賢岳の噴火跡が荒々しい

山に対峙しておにぎりをほうばる ん~ ぜーたく・・

"お~いお茶" がおいしいんだ また・・
いつまで見ていても飽きない・・・・
介護で3食準備したりすると一日があっと言う間に過ぎていく
切れ切れのヒマはよく出来るので 持参した二胡を練習する

いまチャレンジ中の曲がこれ
別に巡査が辻斬りする曲ではない
外来語を中国語の音読みにした当て字である

作曲者はこれでモンティと読ませるみたい
必死にやってもおそらく聞けるようになるのは一年後

でも「賽馬」を練習し始めて一年経ったが 最初のハルウララのスピードからやっと中央競馬会のレベルまで 出来るようになった
とにかく始めることが大事なのだ

メトロノームで3倍遅速度でやっていると情けなくなってくるので
BGMに中国語会話を流す
これがなかなか良い
来年の桜が咲く頃までには なんとかしよう・・・^0^)/
マンドローネを練習しなくてはいけないが
最近は Guitar弾いたり二胡弾いたりばっかり・・
しかし このたび 他の人はじっくり練習した曲だが
私にとっては初見すぐ本番になる と言う事態が発生した

とにかくこれを手動で家まで運んで自主練習をしなくてはならない

本体にましてケースがデカく重い

そこで準備したキャリー 50kg仕様の頑丈なヤツ

ちなみに質量は 合計 12. 5 kg
ローネ本体 2. 5 kg
ケース 6. 5 kg
キャリー 3. 5 kg

突然の雨にも 万全の用意
小説「草枕」は夏目漱石が五高の教師として熊本に赴任していた時
金峰山を経て小天(おあま)温泉まで歩いたときの紀行文を基にしている
私も同じ道を歩いてみようと思った

漱石は何度も引越ししているがそのひとつ熊本城近くの下宿先は
今は記念館が併設されている

ここは昔の武家屋敷町で今でも閑静な高級住宅地である

この熊本城に繋がる"いわね橋"の下を通って西へ歩き出す

井芹川を渡ったのは おそらく"はなぞの橋"と思われる

ここは 島崎町三軒屋 今もじめじめしているので泥んこで通ったに違いない

名所の"三賢堂"も ちらっとは見ていっただろう

岳林寺からは 現在観光で売り出している「草枕の道」が始まる
智に働けば角が立つ 情に掉させば流される
意地を通せば窮屈だ とかくこの世は住みにくい鎌砥坂(かまとぎざか)をぶつぶつ言いながら登って
やがて金峰山に近い峠の茶屋へ出る

ここから見る金峰山はこの通り 当然その頃TV塔はなかった

漱石も見た 秀麗な雲仙 中央の普賢岳はその頃そんなに高くなかったかも・・

峠の茶屋を越えて小天温泉まではみかん畑が続く
この景色の描写は「草枕」によくでてくる
つづく
金峰山に登った帰り、今は " 熊本名物 " になったらしい
だご汁を食する

昔は代用食(お米を節約するため他の穀類を主食として使う)として
まずいものの代名詞の記憶がある
家ではしょっちゅう食べていた(食べさせられれていた)が
売り物としてのだご汁を食べるのは初めてである

予想通り 昔と違って うまい !
味は お雑煮とほうとうをMIXした様な感じである
小説「草枕」で名高いのは " 峠の茶屋 " である

当時の建物が移築保存され 付近は公園風に名所化されている

看板や備品は当時のもので 気楽に誰でも入れるところが良い 無料

草枕の名場面 「おい、 と声をかけたが返事がない・・ 」 の通り
ここでは入ったとたん 漱石が 「 おい ! 」と呼ぶ

お休みどころも風情がある 粉引き臼はなつかしいが少々場違い

ここに座ると風が心地よく、荒尾山の眺めも良い

近くが実際に茶屋があった場所 井戸と旧道跡

これも近くにあったなんでもない普通の家 あの頃もあったのだろう

ところで 漱石が旅したのは
小天温泉の小説仲間の家に遊びに行くのが目的であった
しかし本音はその友人の娘にいたく興味があったらしい
と書いてある ま 良くある話じゃナイカ・・

漱石の晩年の小説には、女性が欠かせない
"三四郎"のstray sheep 美禰子さんは私の理想の女性
"こころ"では全編がラブレターというか恨みの手紙というか・・
"草枕"での那美子さんは、その友人の娘さんがモデル 写真もあった
そういえば中学のカワユい同級生 那美ちゃんはどうしているかなー・
ナーミチャンタラギッチョンチョンデ パイノパイノパーイ
パーイプトバーナナデ フライフライフラーイ ~♪こんな歌 今だれか知ってるかしらん ?
飛行機から撮った山の写真特集

私のブログによく出てくる
金峰山、二ノ岳三ノ岳、有明海のむこうに雲仙普賢岳 左は天草の山

九州本土の最高峰 久住山、硫黄岳、大船山 その間に坊がつる

左から由布岳、鶴見岳 そこから別府温泉街を経て別府湾へ 手前は高崎山

中央アルプスの木曾駒ヶ岳、宝剣岳、空木岳と思われる

ごぞんじ南アルプス 仙丈岳、甲斐駒 手前は北岳、間の岳、農鳥岳

私の百名山未踏峰 南アルプス南の塩見岳と荒川三山
ちょっと手ごわいな・・
早いものでこのコンサートも はや16回目になる

今回 初めての聴衆は ベッカムそっくりの色男 Mr.L さん
彼はどっかの組織でかなり偉い地位でもあるらしいが詳細は不明
今回は聴衆も含めて女性が多かった

いつものとおり 始まりは 二胡

S氏の篠笛 その後 武州語りや せりふ入り艶歌で大活躍
本職?は武蔵府中太鼓の名人

今回 尺八が急用で出られなかったので ミニ十三弦が登場

このとおり カウンターで お琴が演奏できるのだ
譜面はどうみても卒業証書みたい・・

今回 見学に来たミズちゃんは トーテも可愛いのでボカシ無し
皆さん賛成でしょ?

もちろん この後 ピッコロあり 私の二胡演奏あり・・
さらにGuitar伴奏と飛び入りの歌で おお盛り上がり
初夏の夜の出来事は 遅くまでつづくのでした・・・
忙しさにかまけて菜園をサボっていたが
2ケ月ぶりに来たらじゃがいもがのびのびと育っていた

これが2ヶ月前に植えた状態

さすがに となりの菜の花は枯れていたが 鋤きこむほど堆肥にはならず撤去

じゃがいもの花も よく見れば可憐で美しい

夏のメイン野菜 ナスとキュウリを植える

ナスは 千両2号を2苗 あとで支柱立てと誘引、摘心が必要
なんか言葉が農業専門家になってきた

キュウリは 58円の駄苗を6苗 質より量でいく

演奏会が終わったら
じゃがいもの収穫、支柱たて、草取り、虫対策・・・
はたけ~が まってるよ~ ♪
音楽を志す者として 滝廉太郎の故郷 竹田市は一度は行きたいと思っていた

駅舎はよくある凝ったつくり
しかし、裏山から滝が落ちていて ホームから見える

駅前バス停には 足湯がある 温泉も豊富なのだ

旧城下町の雰囲気が 実にここちよい

滝廉太郎の実家
メモリアルが展示してあるが、今でも親戚の方が居住している

廉太郎トンネル なんてものがある
中に入ると オリジナル荒城の月が流れると 書いてある

ミミラシドシラ ファファミ#レミ~
確かにわずかにちがう

この街には 花、箱根八里など素直な曲が生まれる雰囲気がある
実感・・!

街の商店街にカリヨンがある
滝廉太郎や 童謡作詞家 佐藤義美の曲が流れる

だんだん それなりの気分になってきた
さろく足も 軽い・・・
つづく
新緑が一杯の街を 元気にさろく

高台の見晴らしのよいところに
南画の巨匠 "田能村 竹田"(たのむらちくでん)の住宅がある

そういえば お宝鑑定団 ではよく出てくる

近くの神社前に 広瀬中佐の銅像があった
旅順攻撃の際 「杉野はいずこ~」で・・古い人は皆知っている

今度行く大連には 記念碑はないだろうな・・

ひょっこりリュートの演奏会のポスターが
こんな街では いいね いいね~

しっくりした街全体が 芸術を引き立てる

しかし 疲れたので 駅前の足湯でひとやすみ
まだまだ つづく・・
なんとしても "荒城の月" の現場検証をせねば・・・

難攻不落の城として知られる "岡城" をめざしてさろく・というよりは歩く歩く

手前にある広大な駐車場
しめしめ 観光客はほとんどいない

入城料をはらうと 登城手形と巻物(パンフレット)をくれる

さて いざ登城せん すっかり武士の気分になりきっている

"古戦場の秋"のチャンバラ場面がなぜか頭から離れない
口ずさみながら城内の石段を進む

本丸跡は 鈴木静一の "都府楼" の世界

本丸から 祖母山 傾山 が良く見える
手前が深い川で囲まれているので天然の要塞としては理想

本丸を見渡すところに 廉太郎先生の銅像が鎮座ましまして・・

先生の傍に しばらく居て・・
・・・・・・・・
荒城の月 のイメージが浮かんでこない
月も出てないし・・

岡城はもみじの城・・
紅葉の頃はまた別の風情があると思われる

なぜか ここにもノラ君がいた
めずらしく毅然としていた
オレが城の番人だ と言ってる・・・
竹田市の歴史・文化に浸ったあとは、山と温泉を訪れる
ここは別府 鶴見岳の裏、伽藍岳(がらんだけ)
別府市内から車で30分足らずだが 塚原温泉という鄙びた湯治場がある
ここからさろく・・いや!歩く!・・・いや! 登る!の方がふさわしい

内山のふもとには 噴気孔が口をあける

大噴気孔の直径は数十米くらい
写し方によっては阿蘇の噴火口みたいに出来ないことも無い

噴気はあちこちから上がっている

すぐ近くの まったく素朴な無料の露天風呂で・・
日光浴も同時にできる

これまた近くの明礬温泉のレストハウスで 名物のプリンを・・
美味い・・!! これはお薦め

少し下ったところは 由布岳を北から見る 気持ちの良い高原

一人気ままな列車の旅は 熊本へもどる豊肥本線~ ♪
車窓から 百名山の祖母岳 傾山 この秋には絶対登るぞ・・

阿蘇山をこんなにゆっくり眺めたのは久しぶり
貴重な2日間だけの介護休み

小学校の修学旅行以来 立野のスイッチバックを通る
これ まだ教科書に載ってるかな・・?
中国の大連に駆け足旅行で行ってきた

街は雑然とした高層ビルと緑地・・

郊外の海辺は巨大な公園というか・・・

以前もだが ここかしこに 開発の嵐・・・

上は昨年3月行った時の大商市場前の野外マーケット

一年後の今回同じ場所 プラズマパネルが出来ている
オジさんとしては 裏通りの長屋みたいな
歴史を感じるが 権威を感じない
古い建物が
スキなんだけど~ ね !