今年の夏は 全国的にどこも暑かったようだが
熊本の暑さは 尋常ではなかったように思う
9月15日 午後3時 気温36度C 力強い入道雲は、熱帯地方の空だね~

9月の最高気温は一日として30度Cを下回らず 平均33.4度C
最低気温はこれまた一日として25度Cを下回らず 真夏日更新中
10月になって関東地方は寒くなったが、熊本はまだ夏日が続いている
秋晴れのさわやかな天気・・
近くの小学校では運動会をやっている
MCの進行の声と共に BGMというか、雰囲気を盛り上げる音楽が聞こえてくる
昔は 運動会といえば定番の音楽があった ・・ え~
ほら あのフレンチカンカンの・・なんて曲だったか・・
あれだよ ♪カステラ一番 電話は二番 三時のおやつは・・・♪
思い出した ! オッフェンバッハの"天国と地獄"
他に どんな曲があったかな~ なんて 記憶を手繰り寄せると・
"軽騎兵序曲" "威風堂々" "双頭の鷲の下に" "君が代行進曲" とか・・
最近の運動会の曲は 一応はブラスの曲だが ほとんどアニメの編曲が多い
NHKの"みんなの歌"系統もあるようだ
今 聞こえているのは ♪ ターラコー ターラコー・・ ♪
お遊戯やマスゲーム になるとJポップスやよさこい踊りも飛び出す
そういえば 私の小学生の時 お遊戯のほとんどはフォークダンス系だったが 六年生のみ "どんぱん節" を踊ったのが 鮮烈に記憶に残っている
そのころは 大人になって音楽にこれほど首を突っ込むとは 予想もしなかったが・・
キー~ ドーン ガチャーン・・・
お やったなー で 窓から眺めると

レスキューが来ている所を見ると 閉じ込められているか?

外に 出てみる 幸い派手に壊れている割には怪我は軽かったようだ

ほどなく RKK TV が・・ 雑談をしたが これって取材?

この程度の事故は ここではよくある

我が家(CRV駐車の家)の前は 狭い川沿いの通勤路と橋が集まる交通難所
昔と道幅は同じで 車は飛躍的に増えているので 当然
四国の盟主的存在の石鎚山に登るのを 以前から楽しみにしていた
登った日 2007年8月26日

土小屋の駐車場 西条市から西まわりR494黒森峠を越えて面河渓谷スカイライン経由で来たのでとんでもなく時間がかかった

石鎚神社遥拝殿から登り始める

しばらく歩くと 石鎚山本峰が顔を出す ワクワクして足も軽い

近づくと絶壁がそそり立つ 登れるかな~ と不安になる

脇に回って行く様だ

65mの二の鎖場 巻き道もあるが、石鎚に来て鎖を登らなかったら男がすたる

68mの三の鎖場 これはほとんど垂直 高見盛みたいに気合を入れて・ 当然トライ

上から見るとかなりの高度感 オバさんたちには無理

三の鎖を上り詰めたところが弥山の頂上 石鎚神社頂上社がある

あれ むこうのほうが高いかな ?

そう 天狗岳が最高峰ということで・・ やせた岩尾根でスリル満点

鎖場の下りは巻き道を・・ 断崖に沿ったグレーチング階段は人工的ゆえ かえって恐い

花は フウロ 多分 四国フウロか伊予フウロか・・

帰りの 面河渓谷からの眺めも野性的でよい

割と楽に登れて鎖場など盛り上がりもある 景色も良い
名山の名に恥じない素敵な山であった
2007年8月21日 百名山の伊吹山に登った(行った!の方が適語) 帰り "関が原古戦場" を 訪れた

石田光成の陣地跡が 公園風に整備されている 遺跡めぐりの遊歩道もある

35度を超える暑さで 訪れる人はちらほら
変なオブジェもあるが 馬返しの柵など 雰囲気はなかなかよい

西暦1600年 この地域一帯は、数十万の軍勢が戦い 死屍累々の様であった

地図をみると 黒血川、○○自害地、ナントカ碑、誰々の墓 など おどろおどろしい
はるか昔の 壬申の乱 もこのあたりだったか

武将たちは 平地での"いくさ"の様子をここから眺めていてたに違いない
名曲"古戦場の秋" の 戦闘メロディが 浮かんでくる

むこうの松尾山に陣取った 味方の小早川秀秋が 突然寝返ってこちらを攻めてきた時
光成は はたして どんな表情をしていたのであろうか・・
おそらく あの ジャ ジャ ジャ ジャ ジャジャジャジャ ! のフレーズ

強わものどもの夢のあと
すべては 夏草の陰・・
熊本市のシンボル的な山 金峰山(きんぼうざん) は、子供の頃からずっとそばに控えていた
あらためて 本当に心が休まる山である

朝起きて 外を見ると そこに山がある
手前に家が増えたのは 残念だが 佇まいは ほとんど昔のまま

熊本駅近くの白川の橋の上から 開業した東横インの向こうに

立田山ふもとの黒髪町の交差点から

一番好きな 夕間暮れ の時
まだ明るい空と真っ黒になった山とのコントラスト
やがてぽつぽつと町の明かりが灯りだす


もう少し季節が進んで 木枯らしが吹く頃
新月あけの シンドバットみたいな細い月が
沈んだ太陽を追いかけて 山の端に近づいた時・・
清少納言の枕草子にある
やまのはに つきがかかりたる いとおかしこんな情景ではなかったか

陽が沈むところに雲の隙間があったのだろう
フラッシュアップ的夕焼け
一日中見てても飽きない ・・・
鳥取の大山を制覇した翌日 瀬戸大橋を渡ってそのまま 四国をまっすぐ行けば 楽に 剣山へ到達するはずだ
と思った日 2007年8月25日

まんのう町の峠を下る美霞洞温泉あたりから はるかに剣山(カナ?)が見えた

吉野川を渡って登山口への道路 国道438号線に入る

所々に対向車とすれ違いスペースがある程度の林道風の国道 なんじゃ これは !

約40km 3時間かけてやっと登り口らしきところに着く

ここまできたら 歩いて登って1.5時間、リフト使えば30分

リフトを降りたら少しの登りで 頂上下の両剣神社に着く

頂上付近は 気持ちの良いなだらかな草原 苗場山 会津駒タイプで 深田久弥の好みだな~

ずっと木道があって 最高点の一等三角点は立ち入り禁止

頂上より 石鎚山方面 それにしてもこの山行き ずっと好天が続く

隣の 次郎笈(じろうぎゅう) という山もすばらしい 時間があれば登りたかった

花は 端境期か キレンゲショウマを見たかったが・・



下り途中の大剣神社は 石灰岩の間にある 裏の御神水をありがたく頂戴した

リフトまでの道程は大変だが 初心者でも楽しめる優しい山と感じた
頂上に宿泊設備も整っているので 厳寒期にゆっくり滞在したらすばらしいのでは・・
と思いながら 駆け足で下り 明日登る石鎚山方面へ車を急がせる
長い名であるが、ヨーするに" ボシタ祭り " である
いつもなら 熊本に秋の訪れを告げる・ と言われるが、今年は夏を引き留めたようだ・
祭りの前日の藤崎八幡宮 "失われた都"の出だし音の雰囲気

我が家の近くでは 17日の隋兵行列の馬追い練習で 15日からすでに祭りモード全開



隋兵行列の当日 朝6時から いそいそと見物にでかける
まずは 藤崎宮の御神馬から おごそかに

つづいて 御神輿風な山車 これは お賽銭を挙げる車 なかなかうまく入らないが後で拾ってくれる


武者行列
加藤清正の朝鮮征伐 凱旋パレードから始まった(別の説もあるが)と言われているので、これが祭りの本質か




名物の 赤獅子 黄獅子 噛まれると縁起が良いということで狙われるのは子供

時代絵巻が終わると これから市民参加の御神輿


このあとに続くのが祭りのメイン 馬追い
今年は 68頭も参加して 随分 盛況だったね ~ つづく
サー いよいよ馬追い 懐かしいお囃子に 心が騒ぐ

この迫力 祭りは やはり こーでなくちゃ

祭りのヒーローは あばれ馬を手なづける "口取り" である

後の勢子集が 気迫で応援

主役の馬はここでは適当に暴れたほうが良いので後からたたくこともある 馬にとっては少々迷惑か?
・・ッタク ! いつもはおとなしくしてろって言うのに・・本気だしたらまた昨年のようにけが人がでるヨ・・

TV もある審査員席前では 一段と大騒ぎ カメラも必死

大迫力の太鼓隊が続く

リズムは太鼓と鐘でシンプル スピードは気合が乗れば早くなる

ラッパの誘い音が勢いをつける これこそ熊本の祭り・!

音階は大体こんな感じ あまり上手く吹いてはいけない 粗野なところがボシタ祭りに似合う

勢子集はリーダーのアジテートで盛り上がる DJ風でおもしろいのも多い

かけ声を採譜した 一拍と三拍は主和音だが 他の拍にはセブンス、ナインス、マイナーが入って奥深い

かけ声の種類
正式版 ドーカイ ドーカイ ドーカイ ドーカイ (どうしたどうした)
伝統版 オーター オーター オーター オーター(さあ馬を追った追った)
自粛版 ボシター ボシター ボシター ボシター(滅ぼした滅ぼした)
加藤清正が朝鮮を滅ぼしたということでかけ声も祭りの名前もボシタを数年前から自粛している
ここまで韓国に気を使う必要はないのにね・・
合いの手 イヤサカサッサー

近くの新町高麗門からも出ている

当然私も小学生の頃 親父に連れられて魚市場から出ていた馬追いに参加した
今なら 地域からでも同窓会でも職場関連でもいくつも出れる機会はある
一時 馬追いの数が少なくなったが最近はまた隆盛になったそうだ
馬追いは まだまだ続く・・
お祭りとは 騒ぐことだ !

そうだ! そうだ!

どんなスタイルでも いいのだ !

騒ぐバカタレに 観るバカタレ・・ おなじバカタレなら・・

自然とカワユイ娘を捜しているのは カメラを持ったバカタレの手が悪いのでっす






踊りのスタイルもいろいろ
正統派は 両手を挙げて馬追いしぐさのガッツポーズ形
腹を抱えて大笑いする七福神形 指を立てて指揮する形
よさこい踊り形 チャールストン形 阿波踊り形
佐渡おけさ形 ねぶたの跳ね子形 我流タコ踊り形・・
厳格なきまりが無く 勝手な踊りでも受け入れてくれるので 市民も気軽に参加できる
今日の行列の参加者 約2万人

観るバカタレのほうも 6時間かかるので よけいなお世話を・
いろいろオリジナリティを考えると 面白いのでは・
口上も七五調なんで ラップ調、バナナのたたき売り調、CM調なんか・・
さーコーターさーコーター
きょうのめだまはほんマグロ
いまならやすかよヒヤシンス
あたしゃあんたにほれとるばい
ほれとるばってんいわれんたいそうだ これは 小島よしおのパフォーマンスがぴったり・・
そんなのカンケーない そんなのカンケーない
翌日は気温38度C あとかたづけ
祭りの後の寂しさでなく また来年の祭りへの楽しみがふくらんでいる
修験道の霊山が連なる大峯山は 介護修行の身としては ここで 登らなくてはなるまい

前日 伊吹山に行った帰り、伊賀甲賀の里を経て 奈良県天川村の登山口まで車を走らせた
登った日 2007年8月22日

山奥のさらに奥の駐車場は 真の暗闇 昨夜は 廻りで もののけ どもが騒いでいた
駐車場のそばが登山口

入ってすぐガイドにある 特徴的な橋を渡る

1時間程度の登りで 大峯奥駈道 朝もやが 神の山 の雰囲気で気が引き締まる

尾根道で六根清浄を唱えながら・・ 程なく 弥山(みせん)の頂上小屋

頂上にある 弥山神社にお参り

ここから 最高点の 八経ヶ岳は近い


30分で八経ヶ岳 頂上 だれもいない

頂上から和歌山方面 紀伊半島の 山また山が連なる

頂上から三重方面 大台ヶ原山付近は天気が良さそうだ

そうだ 今日のうちに大台ヶ原山に登ろう ! 大峯奥駈道を急いで下る

これが 修験者の道か・・ 何か感じる

え! なんであそこに甲斐駒ヶ岳があるの ? 山梨県にワープしたか ?

突然 目の前に妖怪が・・!! そうか これも修行か・・

気持ちを引き締めたら 12時半には駐車場に到着した

昼食を食べて 再び林道を走る

大台ヶ原へのドライブウェイ途中から 大峯山系を望む
ベテラン登山者向きでもない家族向きでもない 不思議に心が洗われる山でした
2007年8月22日 大峰山を踏破したその足で 一路 大台ヶ原山へ

駐車場は 14:30で 観光バスなど 8割程度

普通は 正木ヶ原 を回る一日コースだが 今回は 最高点の日出ヶ岳のみ

整備された遊歩道を30分で頂上の展望台

大台ヶ原で午後3時すぎでは この天気もしょうがないか・・ でもナカナカの眺望

晴れたら ここから富士山が見えるそうだ

誰もいない頂上には ギンヤンマ 近くには鹿の群れが・・

誰もいないと思ったら・・ 彼は"山渓"の契約記者ということで 「山で会った人」

苔に覆われた林床は さすが・・

帰りのドライブウェイから "また来いよ" と山が言っているよう

百名山を一日に2座踏破したその理由は・
日本有数の雨が多い地帯なのに 今日は晴れている
山頂近くまで車で行け 楽に登れる
東京からまたここまで来るのは大変だ
大峰山で精気をもらい まだ元気一杯
夕立が 来そうだ 今日は天川村の野天風呂にゆっくり浸かろう・・
いろいろ旅に出ると あとになってTVかなんかに出ていて・・
" あー あそこ 行った 行った "
なんてことが よくある
私の場合 事件とか・・あまり良いことは起こらない
8月後半 介護で熊本に帰るのに、途中 山登りも兼ねて 車で 旅行した時の例
その1 高速から降りて名古屋市を通過した 一週間後
携帯の裏サイトで共犯者を募り、見知らぬ仲間が通りがかった女性を殺害した
その2 大台ヶ原山を登ったあと奈良県樫原?市を通過した 一週間後
救急車の受け入れ先がなかなか見つからず、妊婦が死産した
その3 別府港から瀬戸内海航路に乗った 一週間後
港内でそのフェリーが 岸壁に衝突した

私に会った人 !
一週間後あたり 気をつけてくださーい・・
熊本市の東南に広がる山里 甲佐(こうさ)町、山都(やまと)町を訪れた

ここは 通潤橋(つうじゅんきょう) で有名である

通潤橋は、江戸末期 当時の最新の技術で造られた水路橋である

サイフォンの原理を応用し 今でも付近の田畑用水として利用されている

地元のお祭りのオブジェ

民芸館も ここで伝統的な三連藁屋根

風致地域なので 手前の道の駅のほかには 広告、電線などがない

この景色はイイね~ 商魂だらけの四国の"かずら橋"よ ! 見習いなさい・・

付近の棚田も風情がある 放浪の俳人 種田山頭火 もここを通っただろう

彼岸花が揺れて・・その頃は
分けいっても分けいっても山の中 だったか
植木町に住んでいた山頭火は 川尻の大慈善寺から緑川に沿ってこの辺へ
なぜか句碑が見当たらないのは 造り酒屋 が目的だったのでは・・といわれている

この地方は 昔から 石の里 で成らしていた

今は 3333段の 日本一長い石段がある

付近には 名もない石橋がいっぱい これでも100年以上前のだろう

同じような 石橋が自宅の近くの六角堂裏にある 下の川はもう無いが

中学の時の課外授業以来の訪問だが、赤とんぼが舞うここの風景には癒される
尺八名人の宮田耕八郎先生が 箏曲"矢部の里"を作った気持ちがよく分かる
それにしても 昔からなじみの 矢部(やべ)、砥用(ともち) の町名が変わったのは残念
山都とか美里なんて 全国どこでもありそうなのに・
以前 出張のお土産に 赤福 を買ってきたとき、忙しさに紛れ一週間ほど冷蔵庫にそのまま仕舞っておいたことがある
もったいないので、霧吹き後レンジであたためて食べたが 結構おいしかった
今考えれば 冷凍庫に入れておけばもっとおいしい出来立ての味が得られたのではと思う
不二家、白い恋人に続く 赤福の製造日、賞味期限の偽装問題
お菓子類は、買ってうまいまずいはあるけれど、中毒するとか深刻な迷惑は感じないので、なんとなく気の毒な感じはする
今回 冷凍保存後、出荷時を製造日と記したのがJAS法違反ということだが、
冷凍期間はまだ製造過程と考えれば、特に問題ないのでは・・
餡と餅をなじませるために少々時間を置いたほうが味もよくなる??
そういうのはケシカランと言う人がいたら、餡と餅を別々に冷凍保存しておき、解凍して造ったのを製造日とすれば文句はあるまい
マグロなんてどうする 獲れて一年も二年も冷凍したのを解凍して刺身で食べても何の違和感も無い
とにかく、味に自信があるなら 堂々と表示したらどうか
・このお菓子は出荷段階において冷凍過程を経ておりますが、当日製造とまったく同じ風味で食べられます
・賞味期限後は保管状態により徐々に風味は落ちると考えられますが、伝来の味は十分に堪能いただけます
お菓子に限らず、最近は産地偽装も多い 多くはブランド頼りで そう実害は無い
生産者はもっと自信を持とうよ・! 堂々とね
・このうなぎは台湾産ですが、宮崎県が推奨する養殖手順を採用してかば焼き用として最適です
・この肉はオーストラリア産ですが、中華料理、韓国料理には国産肉よりなじみます
・この米は北海道産ですが、すべて日照が豊富な地域でつくられています
いつも、スーパー閉店前の賞味期限ぎりぎりの割引物を買って、冷蔵庫でまた時間が経ってどうしようなく萎びた物から使ってゆく
我が家の現実から考えると・・
伯鰭(ホウキ)富士と呼ばれる秀麗な山容をした大山は、登山心をかきたてる 登った日 2007年8月24日

車中泊した駐車場 冬はスキー場だけに駐車場、トイレ等は整っている

登り始める しかし10分経ってトイレに戻ってきた

六合目小屋までは 樹林の中 何となく登っていく

ここで景色が広がる 隠岐島や島根半島、米子市、宍道湖が見えるそうだ

実際はこんな眺め 米子市あたりはよく見えるが 晴れすぎて湿分が上がってきている

頂上ふきんの崩壊地帯 ふもとの大山寺が土砂で埋まる深刻な問題が・・

眺めを楽しんでいるうちに弥山(ミセン)頂上 こんなに天気が良い日は最近珍しいそうだ・・私は晴れ男

最高地点は 剣が峰だが 崩壊が激しく立ち入り禁止 今回はおとなしく従う ここまで3時間弱

ダイセンの名を冠した草木は多いが、目立ったのはダイセンキャラボクの潅木の間にあるフウロ、アザミ・・




花と景色を堪能しながら大山寺まで下山 奥の大神山神社にお参りした

大山がもっとも美しいのは西からの姿 米子道の溝口ICから近づくと突然顔を出し感動する

南の蒜山(ヒルゼン)高原からだと全然違った山に見える

蒜山高原をゆっくりドライブし、八束(ヤツカ)の湯および湯原温泉で汗を流した
十分 期待に応えた山でした また 登りたい・・
ネ、ネー オヤビ~ン・・あれ ? オヤビンは・・

おー 仁吉か あいかわらずだニャー・・実はニャ とんでもニャことだが・・親分がいなくなったんじゃ ネ 姉さん

そう まったく・・この忙しいときにネ・・突然 親分の座を辞職するなんて云って旅に出ちゃったヨ

ホント いったい何があったんだろうネー こんなに突然やめるなんて前代未聞だヨ

ここの団地に住んでる支援者が 帰郷でしばらくいなかったのも原因かネ・?

まあ これまであまり求心力は無かったケド ニャン金問題とか拉致の進展とか 悩んでいたニャ・

仁吉! アンタ跡継ぎをやったら? 最近 少しは貫禄がついた様だし 見方によりゃ調整型だし・
えぇー あっしが ? このキャラでやんスヨ~

ここじゃ 親分なんか誰でも務まりそうですニャー
明治10年 我が実家近くは西南の役のまっただ中にあった その旧跡も多数見かけられる
さらば 最大の激戦地であった 田原坂に行かないわけにはいくまい
小高い丘の上に田原坂公園がある 雲仙普賢岳がよく見える

気温38度 平日の昼間では こんなところに来るのは 私くらいか・・ でも、これが狙い

JR田原坂駅は 本当に のどか~

明治10年2月 熊本に攻め入った薩摩軍は、熊本城を炎上させたものの落とせぬまま、援軍の官軍を 3月10日 ここ田原坂で迎え撃った
17昼夜にわたる総力戦は 官軍の勝利に終わり 最後の内戦は9月に終了した

官軍が本陣を置いた "このは山"方面
若き小隊長"乃木希典"も従軍していたが、この時は、軍旗を奪われたり、負傷したりでろくな働きはしてなかったようだ

物量で不利な薩摩軍は 地勢を利用した奇襲戦法が多かったらしい
駅近くの横平山では 一進一退の凄惨な攻防が繰り広げられた

飛び交った銃弾は一日平均32万発という、これは日露戦争を凌ぐ量
銃を撃ちながら後で鉛を暖めて銃弾を作っていた・・弾痕は今も残っている

この大木も 戦いを見ていた・・
春の長雨で銃があまり機能せず もっぱら刀による白兵戦 士気の高い薩摩軍に多勢の官軍も苦戦

馬上ゆたかな美少年は 敵軍の兵士だが・・
若者がみんな死んでいくのは敵味方関係なく・つらい・・
みんながそう思った・・

とにかく 田原坂を通ってみる 上から出発したのでまず"三の坂"から 遠くが見渡せ 陣に適

やがて 林の中の道となる
江戸時代 肥後の細川藩は城の守りのため大砲が運べる広い道は一箇所しか作らせなかった

"二の坂" 作らせた所は 切り通しで 敵の迎撃がしやすい

これが薩摩軍に有利に働いた 横から攻められたらひとたまりも無い

"一の坂" 薩摩軍の若き抜刀隊が縦横無尽に活躍していた・・

最大の激戦地は"野田部落"付近

日本人同士の凄惨な戦いに、皆 感化したのだろう・・敵味方なく負傷者を助ける機運も生まれた

静かな駅に2両の電車が着いた

平和の有り難さを感じる・・
味にうるさい(というよりわがまま)母親に3食準備するのは大変だー・・イライラ
1食終わって食休みしているともうすぐ次の食事を考えなければならない
夕食が終わってやっと一息ついてベランダに出る
そうだ9月25日、今日はお月見の日だ 月の出の頃を 写真撮りたかったな・・ もう高い

裏の丘に登り 熊本市の明かりと共に・・ なんか イマイチ

望遠で撮ったら 月も大きくなって・・ でも月だけだと面白くない

雲があったら? 月にむらくも・・ んー ちょっとね

雲がありすぎてもねー

普通にして タイマーシャッターで撮ったら まあまあ

熊本城と名月も写ったしね・・ 夜の写真はホントに難しい
帰って風呂に入り すっ裸でベランダお月見の続き・・ひと時の介護ガス抜きでした
さだまさしの歌 "案山子"
げんきでいるか
おかねはあるか
ともだちできたか・・
親子というか、母と息子はいつも変わらない
都会の大学へ行ったか、就職で出て行ったか・
ばってん荒川の歌 "帰らんちゃよか"
かえらんちゃよか
そっちでやることもあるだろけん
かえらんちゃよかよ・・
仕事で忙しくなかなか帰省しない
あたしも歳をとったし本当はね・
どちらの歌も母の心がこれでもかと言うほどわかる
しつこいというかクサイというか・・
しかし これまでの経験から ついジーンとくる
だから 今 一生懸命 介護しているのだ
それなのに 口げんかばっかし ・・
歌を忘れたカナリアは 後の山に棄てましょか
いえいえそれは かわいそう
歌を忘れたカナリアは 柳の鞭でぶちましょか
いえいえそれは かわいそう
(三拍子で)
歌を忘れたカナリアは 象牙の船に銀のかい
月夜の海にうかべれば・ 忘れた歌を思い出す
解釈その1
子供を教育する場合は決して短気になってはいけない
暴力で無理強いしても結果は出ない まして放任してもいけない
環境を整え、誠意をもってやれば 必ずうまくいく
解釈その2
会社でどうにも仕事ができない部下がいても嘆くまい
怒ればすねるし ほっとけば遊んでるし・
教育してもどうしようもないヤツは
出身地の近くに転勤させるとよい
地元だと案外一生懸命働くものだ
解釈その3
歳をとって働けなくなった人への対処は
本来なら子供など家族が面倒を見るべき
だめなら国が面倒を見るべきであろう・・けど
擁護施設などに送り込めば手っ取り早い
作詞の西条八十氏は 大人の介護問題まで考えていただろうか・
しかし、当時どこかの地方では お年寄りをひとり小さな船に乗せて海へ送り出すような風習があったと聞いた
象牙の船と銀の櫂ではないが、飾り立てられて まさしく生きたままの葬式だったという
そういえば 関が原の近く 姥捨という地名は 昔お年寄りを山に棄てたのではなかったか・
介護していると 素直に童謡も聴けないナ・・
熊本の波野高原あたりから見る祖母山(右)は、たおやかである 左の傾山と共にこれまで そう興味は無かった

単独の車中泊 昨夜はもののけどもがうるさかった 少々下品な騒ぎ声は、"千と千尋の・"飽食の神々ではなかったか・

この付近に神武天皇の祖母がいたということはたぶんそうだ 天孫降臨の地でもある

とにかく登りだす 西沢渓谷の七つ釜滝にそっくりの沢があった 規模は大きいが名前はない

五合目小屋は自然林のまっただ中 ガイドではここから1時間で国観峠と書いてあるがこれはウソ

急登が3時間続く やっと国観峠 目の前に頂上が見える 一息つく

周りを見ると 鹿の足跡か 巨大ミミズもいっぱいいる


程なく 祖母山 頂上 だれもいない・・ハダカでしばし日光浴 2007年8月28日12時

普賢岳、金峰山、阿蘇山、九住山、由布岳、鶴見岳、高崎山・・九州を横断する火山帯が一望できる
"由布岳 鶴見岳" "久住山 大船山" "阿蘇五嶽"



これこそ大地の鼓動 手塚修虫の"火の鳥"の黎明編、神が大地を創り山ができ川が流れ森ができていく・・・
隣の 傾山も儀礼上 写さなくては・

この山は 案内看板がおもしろいので シリーズで

よけいなおせわです・

そういうと やたら丁寧に・

職労がなんだか なつかしい 昔は労組と山登りは相性が良かった

若者か このポップな文字は

こんなに細かく書く必要ある ?

これは 少々おおざっぱ過ぎるような~

わーなつかしい ボンカレー的焼付け看板 字体も・

教科書ですね
花は 残念ながら・・このくらい 春のツツジは良いそうだが・

帰る途中の近くの山 ドーム型の頂上がおもしろい 越敷山という

難易度は初級の山と書いてあるが アプローチや設備、道の状況などから 中級の山と思える 眺望は一級だが、深田久弥がなぜ百名山に選んだのかイマイチ不明 ウェストンが登ったからか ?
熊本市では、燃えるゴミの収集は毎週月、木である
ただし、熊本では"燃えるゴミ"とは言わず"燃やすゴミ"と云う
燃えるなら燃やしてみようこのゴミを! という意気込みか・・
中国の好景気で資源ゴミの需要は今のところ多いが、いずれまたゴミ問題は再発すると思われる
一番の解決法はリサイクルであるが、収集段階でのゴミの分別という問題がある
ゴミの分別がなされないからリサイクルがうまくいかない と市報にあるが、私に言わせれば これは為政者の怠慢である
この技術立国 日本で分別を機械化できないはずは無い 原発の使用済燃料からでもウランやプルトニウムを抽出できるのだ
問題は これに金をかけるかどうか、リサイクルの意気込みがあるかどうかだが・・
この間、スルメを作るための自動イカさばき機というのを見た
こんなものでも自動化できる
安くする自動化技術は我が国の得意中の得意なのだ
あとは役所の意欲 !
"環境整備課"なんて部署を、"土木課"などよりうんと下に置かず 花形の部署にする首長はおらんかの~
百名山で近くにあって登ってない山、 紅葉狩りがてら行ってくるか・・登った日2005年10月28日

駐車場は案外狭い 10台くらい

へばりつくように建つ両神山荘から登り始める

下の方は紅葉というより 木々の緑がさわやかだ

2時間ほどの森林浴で 清滝小屋に着く この付近なかなか趣がある

鎖場なんてのもあるが なくても楽に行ける

高度が上がると紅葉となる ワーと驚く・・程ではないが

両神神社の狛犬は 狼みたいでちょと恐い 狐かも?

この辺から頂上が見える ここは 産休イヤ産体尾根 というのか・・

程なく頂上 登り口から4時間 案外時間がかかった

頂上からの眺め 高度感がやや不足だが、まあ天気も紅葉日和で満足

アカヤシオの紅葉が素敵だったのでパチリ この辺まではフツーの山登りだった

気がつくと猿がいる ほー野生の猿もいるのか・・

帰り道 なんと あの猿か? ついて来る イヤ別に~あたしゃ ただ食べてるだけ・・


なんか猫みたいだニャー おまえは・

オトモダチになりたいんでしゅよ

足でもお揉みしたしやしょうか・・ ホラ もう遅いから仲間のところに帰んな・・

そういわれましても・・

あたしゃ ただ傍で食ってるだけでごじゃんすよ

モー 麓まで着いたじゃないか ドーするつもり? 暗くなったよ
コラ! いつまでいるんじゃ~! アンタを連れてはいけんのじゃ!
じゃ・せめてものお別れに記念撮影でも 悲しいナー・・

こちらも寂しかった・・
あの親しさはきっと山のオバケが形を変えたのに違いない
そういえば、頂上でリリーから電話があったり、帰り 誰かが後をつけているような気配が・・

なんとも不思議な山登りでした
基礎工事を確認して そのあと一ヶ月ほど熊本に帰省していたら・・

建前も終わり あっと言う間に 家の形が出来上がっている

当方の得意分野 電気工事設計は しゃしゃり出て直接指示

屋根は出来ているので 北から見たらほとんど完成のよう

屋上に出てみる 富士山の眺めはどーかな 今日は見えないが

一年前の ここからの眺め 富士山はOK

さて 楽しい楽しい 家具、家電製品の選定を始めよう
その前に 外壁の色、壁紙、カーテン、水栓、アンテナ、コンセント、暖房など
決めることが一杯
伊吹山から大峯山まで 大阪と三重の境の裏街道を行く
ナビにまかせていたら 随分田舎道に来たなー すれ違えないよ ここほんとに国道?

県道のほうが道が良いみたい でもナビが古くて正解 昔の道のほうが風情がある
信楽、甲賀、伊賀、名張、・・地名もいいね 蒲生氏郷街道と称するそうだ

うだるように熱いが、こちらは急ぐ旅ではない きままな一人旅 ♪知~らない町をながめてみた~い・♪

旅のオアシスは 道の駅
宇陀市なんて 初めて知った でも私に気が合うなかなか良さそうな町だ

立ち寄り温泉で一風呂浴びる この付近 観光案内所から市役所支所、保育園、体育施設など複合施設がある

万葉の歌人もここで詠んだ
ひむがしの野にかぎろひの立つみえて かへりみすれば月かたぶきぬ特になんでもないところをゆっくりめぐる・・
好きな旅のスタイル