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G3は今日も元気

典型的な団塊オジさんの自己満足的日記・・早期退職して悠々自適なのだ・・内容は・音楽雑論、マンドリン、二胡、百名山行、花と菜園、旅あるき、原子力と放射線、別荘暮らし、熊本で介護、猫の石松など・<府中市在住> リンクフリー

謹賀新年

あけましておめでとうございます 本年もブログ更新続けますので よろしくご愛読 お願いいたします

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新年は やはり めでたい富士山ですね いちばん最近の 別宅からのながめ を お送りします

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ことしの目標は特にありません 目の前の一日一日を一生懸命生きていくだけです

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還暦にはこれまでの自分の生き様がリセットされます ゼロからまた人生をスタートできるのは嬉しい

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山も富士山だけでなく 甲斐駒 も いい 百名山に限らず すばらしい山はたくさんあります

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今年は 精神的も肉体的にも 惑わず悠々 で いこう

この冬一番の寒気が

やはり 心配になって 別宅へでかけました 

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空はあくまでも青く 山も良く見えます  しかし

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隆盛を誇っていた キンレンカ もこのとおり             ほんの3週間前に比べて

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3月から ずーっと咲き続けていた サルビア も このとおり     4週間前

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金のなる木はGive up ジャスミン はなんとか頑張っていました              4週間前

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アロエの仲間 不夜城 は 寒冷遮の中で OK  アオキとシャガは 日陰の寒い所なのに 元気元気

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よく見ると もう梅のつぼみがふくらんでいます 

冬きたりなば ・・  春遠からじ



薪つくり

薪ストーブは まだないが 家を建てた時 切った木の残骸が一年もほったらかしなので

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薪割り なんて別荘生活に心地よい響きだが 実際はチェーンソーでの 整理整頓

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よく枯れているので 細いのは足で割ったほうが早い 薪になりにくいゴミもよくでる

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一日作業で この程度の薪が かんせーい !  物置きわに積むと 見栄えもなかなか 別荘雰囲気

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冬の陽だまりでの 一人作業

軽い疲れが ・・  癒される  ・・






いわれてみれば

たしかに なみだ目の顔 に見えないこともない でも近づくと リフトゲートですな・・理科系としては

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夜  少しボヤけたほうが その感じが出ますねー   泣いたり笑ったり

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常に 感受性の受け皿を まっさらに しておくと いろいろ感じるのでしょうね

運転しながらだと なかなか 難しいですが 

今後の 生きかた の参考にしまーす






カーテン

りっぱな カーテンボックスを作ってもらったが どうも カーテンの収まりが悪い

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二重カーテンを開けた時 折り目がそろわず ぼてぼてと 固まってしまう 

こうなれば アイロンで 折り目を付けるしかない 人生初めてのアイロン作業


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この古いアイロンは スチーム穴が詰っているので 霧吹き は手動 糊付け も

手際よくやるには なんといっても 布さばき がコツ  やってて 分った


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すべてのカーテンを やりはじめたら けっこうな運動量

カーテンのない窓から 富士山がのぞいていました






泰勝寺

熊本市の北東にある 泰勝寺 を 訪れた ここは 肥後 細川藩 の菩提寺である

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今は寺はなく 跡地が立田自然公園 として 開放されている

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ここへ来た理由は 二代目忠興の妻 ガラシャ夫人の生い立ちに 少し興味があったから

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細川忠興の墓 54万石の大名としては質素 以前来た時は さや堂もなかったような気がする

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気になっていたのは 明智光秀の娘が どう生きながらえ 大名の妻でいられたか  答えは

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信長の仲立ちで忠興と結婚し 本能寺変後は離縁させられるが秀吉により許され 忠興と復縁する

その後 キリスト信者になりガラシャ名を受け 大阪の陣で人質を拒み豊臣方軍勢に囲まれ38歳で自害


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境内には 代々の墓や 供養塔がある 細川元総理の実家も たぶん ここかな

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歴史の重みが感じられる 竹林  茶室  苔苑

いつかは ・・  大河ドラマの舞台







立田山にて

泰勝寺まで来たからには 裏の立田山 (たっだやま:熊本弁) に 登りたくなった よし! ついでだ

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上のほうは 林野庁の広葉樹試験林みたいなところで この時期(12/15) いい雰囲気

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落葉(紅葉?)踏み分け鳴く鹿の・・  踏み分けても踏み分けても山の中・・  いろいろでてくるが~

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前を ランニングしているのは 熊大の女子部員か?     カサコソ の足音を なぜか合わせる

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ほどなく 頂上 昔は もっと 眺めが良かったような気がするが 全然見えない展望台も あるし

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やや降りた浄水場から 市内が 見渡せる 花岡山から金峰山に いたる 山々も

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突然 高校の名物N先生から 首の一振りで立田山まで走らされた 楽しい想い出が 浮かんできた

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あのころは 本当に 青春だった 夕陽にむかって ・・・

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そこには いつも 熊本城





黒髪町界隈

立田山 泰勝寺 のある黒髪町は なかなか趣がある所

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天使湯閣でひとふろ浴びて 藤崎八幡宮付近から さろきはじめる

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旧国道3号線に入ると 街道沿い風の建物が さろいている吾が風体も合っている

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足は 自然と我が母校のほうへ 向かう  ここはいつ見てもいい景色

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この付近 著名な歌人や小説家の歌碑 下宿跡など 多い

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お これは似合いの 明治風の庭と 育ちの良さそうなニャン子

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五高の先生時代 この付近に下宿していた夏目漱石も おそらく この景色を見ていただろう

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泰勝寺 立田山 も含め 多くの歌碑 旧跡のさろきんぐで 陽も傾いてきた

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なつかしい石垣をまわって ・・   今日は バスで帰ろう








川のほとり

川のほとりの 実家付近は いまでも私の心の 終身栄誉景色 

19我家01うさぎおいし かのやま こぶなつりし かのかわ ゆめはいまも めぐりて わすれがたし ふるさと

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おや 今日は なにか 橋の検査かな ?

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話の脈絡が まったく ないけど ・・ 我家の車庫

これで運転席ドアが25度くらい開くので なんとか車から出られる

1 cm でも 横にずれれば  壁にぶつかるか あるいは 

出れない





ビデオレター

とうきょーの石松オヤブンさんや~

あたしゃ ここクマモトじゃちょっとは名のしれた おヨネ という オバタリニャンコでござんすばーい

ま 世間ではあたしのことを "でしゃばりおヨネ" とも 言っておりんす がにゃー


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むかしゃな このあたりは キヨマサ一家の縄張りだったごたるばいた

ばってん あの えしれんヤクザもんたちゃ ぜんぜん がまださんもんだけん

カクさんは出て行くし こどもは育てきらんし ほんなこつ ひどかー

あとはどーなときゃーなろたい と 夜逃げして はってかしたったい


20お米ばあさん0220お米ばあさん0320お米ばあさん05

それで あたしが みんなのめんどーを見とっとばい

となりの慈恵病院では ナントカポストとかあるっとにね

まー こぎゃん むぞらしかこどもたちば ほっとくわけにゃ いかんけん


20お米ばあさん04

いくら やくざもんでん じぶんの家族ぐらい ちゃんとみてやらんとね

きくところによると 石松一家はみんな なかよく 平和に暮らしているとじゃなかと

そらよかねー んなら これからも 元気でくらして はいよー




阿蘇 内の牧

地元は 街おこしで頑張っているので 阿蘇 内の牧(うちのまき)温泉 を紹介する

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独特のカルデラ内の道  外輪山が美しい  向こうは 久住の山 地獄の噴煙が見える

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同じところでも 11月と12月では 雰囲気が違う   阿蘇 道の駅から国道を分け 北へ

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ほんの10分で到着 駐車場の準備は良好 それにしても人がいなーい ここが中心のはずだが?

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とにかく温泉へ 旅館はほとんど立ち寄りOK サウナ等は不要 ホテルでなく純古風を探し出す

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板塀があって広大な露天風呂の前は 畑  こーいう往年の栄華が感じられる風呂 ダイスキ

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人は見かけないが 車は多い 郊外の 道の駅とフラワーパークを一緒にしたような "はな阿蘇美"

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当然 ふとん着ないで寝たる姿の 阿蘇のながめは ・・ 飽きることはない

皆さーん  少しレトロ やや寂れ とても素朴 新しいものも沢山 自然は目一杯

内の牧温泉へ どうぞ いらっしゃーい ー





阿蘇 中岳 を撮る

涅槃のお釈迦様のおへそあたりから 煙を出しているのが 阿蘇 中岳の噴火口

21内の牧13 23中岳01 拡大すると こんな絵 遠くからだとあまりぱっとしない

噴火口のいい景色を撮るべく 近づいてみる 定番の 草千里ふきんから 
23中岳02
今日(11/18)はこの冬初寒波で 空気はピリっとしているが 大気不安定 雲と噴煙が合わないな

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近づいて 手前にススキを入れた構図にしてみたが どーも イマイチ も少し近づくか

23中岳04 23中岳07
しかし 近づけば近づくほど いいフレームが取れない 望遠にしてもしかり 終点は当然Uターン

帰りの途中からの以下の写真が なんとか今回のベスト
23中岳05 23中岳06

阿蘇の山は まだ 続きます


往生岳と杵島岳

涅槃のお釈迦様の 両脚にあたるけれど あまり 脚光は浴びない 私好みの山を紹介する

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近づくと 左が往生岳(おうじょうだけ) 1238m 右が杵島岳(きじまだけ) 1321m

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も少し行くと 右に 鳥帽子岳が顔を出す この山は草千里の借景として日が当っている  後日紹介

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鳥帽子岳のおかげで 阿蘇五嶽からも外れた 往生岳に 高校生の頃 一人で登ったことがあった

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ちょうど このあたりから 放牧の牛に追っかけられながら ススキをかき分けかき分け 直登

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頂上あたりも背より高いカヤの原で 突然現れた爆裂火口跡の陥没にあぶなく転落しそうになった

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側に見える 杵島岳経由で草千里に抜ける予定が なんとなく恐くなって 元来た道を引き返す

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杵島岳は 毅然としていて人を寄せ付けない感じ 自然への畏敬 これも引き返した理由だったかも

22往生杵島岳07


ところが ・・

帰って来て 落ち着いたら その恐かった想い出が心地よくて なんとなく忘れられない

このころから "独り山行き" にだんだんハマっていった ようだ ・・






鳥帽子岳

阿蘇五嶽のひとつ 鳥帽子岳(えぼうしだけ) 1337m  登ったことがある人はあまり聞かない

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なんといっても草千里の引き立て役 草千里は火口が埋まった跡だから 火口壁又は外輪山か

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草千里に加え 中岳噴火口と組み合わせると もっと絵になる メジャーな景色をお楽しみ下さい

24鳥帽子岳0324鳥帽子岳04 24鳥帽子岳0524鳥帽子岳06

昨年2月 俵山展望所からの阿蘇山 鳥帽子岳は 俺が阿蘇の中心だ! と言わんばかり 真ん中に鎮座する
24鳥帽子岳07


私こと 肥後モッコスは 恵まれない不遇の山 が好みなんで ・・  

鳥帽子岳には やや冷たい 論評     この時 -7℃





阿蘇ぜんぶ好き

阿蘇の山を紹介してきたが 他の山も なんか言わないわけには いかない

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阿蘇の盟主 高岳 1592m 肥後国 熊本の人はみんな知ってる標高 百名山としては1970年に登頂済み

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お釈迦様の顔 阿蘇の顔でもある 根子岳(ねこだけ) 1433m いつかは登ってみたい

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北から南から そして カルデラ底から外輪山から どこから見ても 山を喜ぶのは 私だけかな~

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五嶽のペットという感じの かわいい 米塚(こめつか)  伊豆にある大室山ですな 

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日本の里100選 にもなった草原 なにもない こういう景色 本当に い~ですね

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外輪山の俵山展望所 熊本からアプローチの 大津の杉並木も 私のお気に入りポイント

温泉にはこと欠かないし フラワーパークや 町おこしの若者向けイベント施設 も増えてきた

定年後のスローライフ地にも最適 お近くにお寄りの際はぜひ一度訪れてくださーい

県の観光部長のスザンヌ君!  TVでバカ言ってないで たまには地元の宣伝してよー









やはり さろく

デイサービス日で 介護の息抜きが出来る時は なにはなくとも 外に出る

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"あんたがたどこさ"の船場橋から たぬきの居る船場山を 眺むればー ・・ お城がみえる

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熊本の知人には たぶん お分かりいただける 家の近くの景色

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いつもの 交通センター前  

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御幸坂ぞいの市民プール跡地は イチョウが ひときわ目立っています

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路面電車に乗るのも楽しい 古ーいのもあれば ヨーロッパのお下がり らしきものも ・・

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足元の 下水の蓋  ちょっと派手じゃないかい?  ま いいけど

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クリスマスイルミネーションの中を あわただしく 帰途

♪ 介護~が 待ってるよ~ ・・









薬師寺

介護の熊本からの帰りは 自分へのご褒美  前回の法隆寺に続いて 今回は 薬師寺を訪れる

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この立派な石畳は 大駐車場から薬師寺本堂へ到る 参道  身を引き締めて真ん中を歩く

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昔は 国立薬学研究所 みたいな所だったんだな 参道沿いには薬草が栽培されている

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やがて 立派な二つの塔が付近を威圧するような 本堂入り口に着く 国宝の仏像もみたいが ・・

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今回は拝観料を払って中に入るのではなく 外から全体を眺めることにしよう  この辺が オレ流 観光

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広大な敷地に 塀に囲まれた瀟洒な建物 どっかの大会社の工場みたいで 近づきにくい

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本来 お寺さんは庶民の心身の安寧を願い 誰でも気軽に無償で訪れることが出来る所ではなかったか

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お寺の周りを半周して立派な門に着いた ここが正門らしい

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塀に囲まれた本堂の外にも 広大な薬師寺がある 社務所や 写経、法事などの行事を行う所らしい

こちらの 立派な庭を 無償で見学させて頂き その後 薬師寺わきの細い路地をさろき始める


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さて この歴史の散歩道 どこへいくか





唐招提寺

薬師寺の前寺をかすめる様に通る 近鉄特急  この踏切りを越えて さぁて 飛鳥路の さろきんぐ

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しばらくは 薬師寺をかこむ 塀沿いに ・・ ふむふむ 期待通りの景色

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道案内とか無視して 秋篠川(あきしのがわ)ぞいを北へ ・・ 車が通らない道を選んで歩く

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かなり歩いたが まだ薬師寺関連の寺社施設が続いている ・・あの寺 ずいぶん大手?の寺でんなー

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しばらくして  実は予想していた 唐招提寺(とうしょうだいじ) へ着

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ここも 拝観料が要るらしい

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玄関から 中をのぞかせて頂きました

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一礼して 前を 通り過ぎまーす

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唐招提寺は 薬師寺みたいに羽振が良さそうでなく 落ち着いた雰囲気は 好感が持てます

でも 工事の塀や 工場?の建物など まわりに興ざめな人工物が目立ちました


それは それとして ・・

さろきんぐは まだ 続きます







垂仁天皇稜

薬師寺から出発して 唐招提寺を経て ・・ ただいま 奈良 飛鳥路を さろきんぐ中

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そうだ ! 私が探していたのはこんな景色だ  それにしても ・・ 近鉄特急がね~

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田園風景の向こうに 見えるのは 垂仁天皇の御陵  いってみよう !

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水面にかこまれた かなり大きな古墳 一周してみる 時々通る近鉄を除けば 静寂

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20分ぐらいで一周 前方後円墳かどうかはここからは判別不能 中は鳥の楽園みたい

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古墳に近い道がなくなったので 田んぼのあぜ道を歩く 小高い山は 垂仁天皇稜の 飛地

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途中 立派な トイレもあったので 我がさろきんぐスタイルをパチリ

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特急の騒音がやや気になったけど  今回も 

飛鳥路の雰囲気を十分堪能できた 満足いく旅 でした


年末年始回想

ブログの毎日更新を維持するためには どうしても記事の事前仕込みが必要になってくる
当然 リアルタイム性に欠ける  お正月が今頃出てくる事をお許し下さい


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松飾りが嫌いな地元の神社には 大晦日に御参りに行く
初詣で ではなく 今年も 無事に過ごせました という 御礼参り

その後は 国民的標準行動のとおり TVの前で 紅白歌合戦 の鑑賞
印象に残ったのは "森進一"の熱唱と 案外歌が上手かった"羞恥心"
舞台装置で 背面いっぱいの電光パネルは ちょっと違和感 やはり大道具的手作りがいい


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お正月は なぜか房総の大原港をいつも訪れる 今年の大漁旗は なんとなく景気が悪いね~
清水寺(しみずでら)には 一年に一回のお参り 今年の運勢は 普通 らしい  ところが ・・ 


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この日 お風呂で倒れ 正月早々病院へ運ばれる事態になった 年末からやや体調不良だったが

意識不明になる直前"オレはこのまま死んでしまうのか"と不思議なほど冷静に考えることができた
昨年あたりからいろいろ思い悩み 自分の人生を検証し総括していた せいかもしれない


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しかし オレは死んじまっただ~ オレは生き返っただ~ 大々的な検査の結果 異常なし
やったー また好きな音楽も楽しめる 美味しいものも食べられる

生きてるっていいね


"いすみ"の里 は 静養の地となりました



 

冬の花

別段 家庭不和 てゆーこともないが やはり 人付き合いより 自然や花 の方が 心がなごむ

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一番寒いこの時期でも ここ府中の団地内は 椿 南天 それと・・(忘れた) 花や実が いっぱい

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我家のベランダには 冬でも元気な パンジーとビオラ 犬のゴン太顔の隣りは しかめっ面?の新顔

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他の植物は 不織布の寒冷遮の中  毎日の掛けたりはずしたりが大変だが

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でも おかげで  皆様よくご存知のこれらの植物は 元気 (名前はナンだったかな~)

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ゼラニュームは あいかわらず のべつまくなし

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冬の 陽だまりを楽しみたい

今日この頃 です






祝 ! ランキング1位

ヤッター ・・ !!

DAMステーションのカラオケランキングにエントリーして 苦節6ヶ月 ついにG3は トップの座を手に入れた


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記念すべき歌った歌は ダークダックスの"花のメルヘン"

ま 点数も低いし母数も3人だから そう自慢は出来ないが

この喜びを まず一番に 皆様へブログを通じて 伝えたい


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しかし・・ 初っ端にトップを獲って気を良くしたが そのあとがパッタリ 得点が伸びない

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ついに 最下位獲得という 前代未聞の事態に

たまたまこの時は 先輩のDAMカードを置いて 私が歌っていたので

常に上位常連の先輩の顔に 泥をぬったことになる


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なんとか この屈辱を はらさんと ・・

先輩の十八番 絶対上位に入れる という歌を歌ってもらった

よし ! 1位になった  んー 参加者一人か ・・





熊本城

日本三名城として実家の庭先に誇らしくそびえている 熊本城 を しばらくの間 徹底検証する

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本格的な築城は 1600年 関が原の合戦 のあと 加藤清正 が肥後54万石を領し 城作りに着手した

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7年の歳月をかけて 1607年に落成 ここで初めて熊本城という名前をつけた

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加藤清正は いくさに強い勇猛な武将として名を挙げていたが 築城技術者としても一目置かれていた

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石垣造りについては 家康に協力し 名古屋城 江戸城築城でも 携わったほどである

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特に"とりで"としての石垣システムの構築には 手腕を発揮した

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戦国時代の合戦や 文禄慶長の役での朝鮮軍や明軍との戦い 豊富な経験を生かしている

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特徴的なのは 上に行くほど傾斜が急になる"武者返し"

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江戸時代になると石垣構築技術も進歩し 石積も整然となり傾きも急になってきた

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石を間近かに感じながら まずは 門から本丸まで 歩いていこう ・・



熊本城 本丸

本丸(ほんまる)の大天守は 地上6階地下1階 石垣の上からでも 30m の高さを誇る

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入口には 蝋人形そっくりの本物の人間の警備兵がいる 再建に協力した一口城主の札の部屋にも

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地下の石垣内は 多分 兵糧米の倉庫 本体は鉄筋コンクリートだが この付近は昔の雰囲気

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天守閣からの眺め 手前の宇土櫓の先には 菩提寺の本妙寺がある山 が見える

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左側の逆光部分は 二の丸跡 段山など の古戦場 これらの歴史の足跡は 今後詳しく・・

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江戸期の景色 花岡山(そのころ祇園山) 金峰山 荒尾山 や 白川 坪井川など 今でも 山河は変わらず

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内部の展示資料を見ながら往復すると 加藤家 細川家の歴史がよくわかる

本ブログの記事も  ここでの 受け売り ・・ じゃなくて

足で稼いだ取材の結果





宇土櫓

宇土櫓(うとやぐら)は 地上5階地下1階 城壁の隅を守る櫓だが 他の城郭では優に天守に匹敵する

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当時から残る唯一の多層櫓であり 重要文化財に指定され 一般に公開されている 

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往時の熊本城はこのような5階から3階の櫓が天守を囲んで林立し まさに難攻不落の大要塞であった

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皆のもの~ たとえ幾万の軍勢が押し寄せたとしても この城を守りとうそうぞー ・・ エイエイ オー !

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とのー 武者返しの石垣を 敵が登ってきまーす  よーし 石 落とせー

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谷干城 閣下~ 薩摩軍は花岡山から大砲をこちらに撃つ様でーす ほっとけ ! 届くはずがない 

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閣下~ 本丸をはじめほとんどの櫓は焼け落ちましたが~  大丈夫だ ! この櫓ひとつあれば十分

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たしかに上に昇ると 天守に劣らず眺めが良い むかし通りなのでスリル満点の手すり場がある

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小学生の頃はこの手すり内に入れた 古くなった床板を踏み抜いた恐い想い出は今も心に残っている

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ピラミット的に考察すると
熊本城の周りの本妙寺 立田山泰勝寺 水前寺 花岡山 は 正四角形の位置にあり その対角線上に お城が存在する
北の2寺は加藤家 細川家の墓所であり 南の2ヶ所は花見や茶会を楽しむ場であった
これはいったい何を意味するのであろうか?
私が 今思った感想なんで おそらくナンも意味しないと思われる


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立田山の向こうの阿蘇の山から朝日が昇る そして金峰山に夕日が沈む その頃は美しかっただろうな・・


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本丸と並んでも 遜色ない 宇土櫓  ここから 多くの戦いを見続けてきた


本丸御殿

本丸御殿は 天守閣とともに熊本城の中心をなす建物で 藩主の居間 対面所 台所などから構成されていた
すなわち 藩主は平常時は天守閣でなく この本丸御殿に住んでいた


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西南の役直前に焼失したが 市の熊本城復元整備計画により 築城400周年の昨年 復元が完成した
総工費54億円 県や国交省 文化庁の補助があったものの 個人寄付も数多く寄せられた らしい


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復元は史実に忠実に 極力地元の材料を調達し 伝統的な建築工法・技法を使用して行われた
今の時代当然だが これらの技術を若い職人さんへ伝え 後世に残すのもこの工事の使命であった


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台所あたりから奥の間を望む ドラマにあるような襖を開けながらイッキに進んで行けたのは奥方くらいか

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縁側から 城下町と花岡山が良く見える 花岡山は そのころ祇園山といって 桜の名所だったらしい

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六葉 唄 引手 笹金具 など 往時の金具も資料に基づき 全国の伝統工芸師に頼んで忠実に再現された

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一番のウリは 豪華絢爛の障壁画(しょうへきが)  予算の関係で二部屋のみ復元された

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昭君之間(しょうくんのま) には 中国の前漢時代の美女"王昭君"の物語が描かれている

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多くの復元作品があるが 安全上などのやむを得ない設備は アルミサッシやガラスなどを使用
わざと区別を明確にしている との説明 予算がない言い訳 みたいだけど・・まあ 許してつかわす


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職員の不祥事や 財政の逼迫など 市にとっては最近 頭が痛いことばかりだが

この熊本城再建計画については 特に"ムダだ!"という 批判は聞かない

伝統文化を大切にする気概は よし ! 

なんといっても 熊本城は私たちの心のよりどころ だから




加藤清正

熊本では 清正公 を 親しみをこめて "せいしょこさん" と呼ぶ

戦国時代を代表する武人であったばかりでなく 熊本城を作り 治水 新田開発 産業育成をはかり その後の熊本発展の礎を築いたからである

熊本城の入口 御幸橋のたもとでは 虎を尻の下に敷いた 清正公の銅像が迎えてくれる


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加藤清正は 1562年 秀吉と同じ三河の中村生まれ 母方が秀吉と親戚だったこともあって

秀吉に可愛がられ 当然ながら戦国の武将の教育を受け 優秀な部下に育てられた

戦国時代は 秀吉の部下となって 山崎の戦い 賤ヶ岳の戦いで戦果を挙げ

秀吉が天下をとった後は 秀吉の命により朝鮮に出兵し ここでも華々しい戦果を挙げた 

これにより 朝鮮では 鬼と呼ばれ 以来 もっとも恐れられ憎まれる存在になった

今でも韓国各地では"清正軍との抗戦跡"がいたる所に残っていて 悪の権化にされている


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秀吉の死後は 五大老の中で家康の家臣となった そして関が原の戦いでは当然 東軍

あれだけ豊臣家に忠誠を誓っていたのに そこは戦国を生きぬいてきた慧眼

ここは実力のある家康についたほうが得策と判断 ( この かけひき 現代の政界にも通じる所多し ) 

家康も 関が原には参加させず 九州の西軍大名を攻めさせた

ここでも 朝鮮出兵ではライバルだった小西行長の居城をはじめ九州の西軍大名をことごとく制覇した


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清正は 家康の家臣になっても 心の底では 豊臣家への忠誠を捨てることはできなかった

家康も 薄々感じてはいたと思われるが さすが狸と呼ばれるだけの策者 そこは利用できるだけ利用した

なんとなく予想されていたが 清正の死後 忠広の時に加藤家は 改易 (所謂 とりつぶし) となる


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こうして 加藤家は二代で途絶え 後任の細川家が熊本城に入る

1632年 細川忠利は清正の霊位を先頭に熊本城に入り

天守から清正の墓の本妙寺に向かってうやうやしく拝祈し

"あなたさまの城を預からせて頂きます"

と異例の所作を行ったという












横手の五郎

加藤清正は多くの合戦の経験から勝つ術を心得ていた また そのためには手段を選ばなかった

篭城している相手に和平の使者を送るといって門を開けさせそれに乗じて兵を突入させて打ち破ったり

弓の名手の敵将に "お互いの得意武器を捨て刀で一騎打ちをしよう! " と言いながら 相手が弓を捨てたとたん自分は槍をもって敵将を討ち負かしたり


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その だまし討ちで亡くなった木山弾正の息子は 熊本城の築城の際 石積み人夫となり 密かに清正の命を狙っていた

しかしその卓越した仕事ぶりがかえって彼の素性が知られる結果となり 井戸掘りをやってる最中 上から石をおとされ生き埋めにされた


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その時 大きい石だと下で受け止め 台にして上ってくるので小さい砂利でなんとか生き埋めにしたという
それだけ怪力の持ち主だった ということ


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一説では 殺されたのではなく 清正の忠実な家来になった とも言われているが

おそらく 清正をあまり悪者にしたくないために そう云われているのでは と私は思う


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この 楠の木は真相を知ってるだろう

とにかく ・・

我が町 出身の歴史上の人物 "横手の五郎"は 不当に殺された





放牛上人

横手五郎と並び もうひとり わが町に因縁の深い 歴史上の人物を紹介する

細川藩主五代綱利のころ 花岡山の近くに大そう親孝行の息子が住んでいた
父親は大酒のみで働かず ある日息子の稼ぎが悪いと 帰ってきた息子に火吹き竹を投げつけた
ところが それが運悪く外を歩いていた侍に当り 父親は即刻 無礼討ち となった
これを悲しんだ息子は 出家し 肥後の国中に108体の石仏を作り 供養するとともに人々に信仰を広めたという


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終焉の地は横手あたりで 現在 わが家のお墓とならんで 放牛上人 (ほうぎゅうしょうにん) の墓がある

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お話しはこれだけ・・ ♪ ぼーやー よいこだ ねんねしな ~ ・・ ♪

熱心な日蓮の信奉者だった加藤清正以来 熊本は宗教活動が盛んで 信者も多い

花岡山頂上には立派な仏舎利等も建立されている


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肥後六花

加藤家から細川家に替わった熊本城 江戸時代に入ると 世の中は落ち着いてきた

六代藩主 細川重賢は武士のたしなみとして"園芸"を奨励し家臣の品位向上をはかった


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これにより やがて"肥後六花"という独自の園芸作法を生み出した  六花とは

1~3月の肥後椿(つばき)  5月の肥後芍薬(しゃくやく)  6月の肥後菖蒲(しょうぶ)
7~9月の肥後朝顔(あさがお)  10~12月の肥後山茶花(さざんか)  11月の肥後菊(きく)


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それぞれ 花の形 仕立て方などに特徴があり 花と向き合い己を見つめる 武士の美意識が感じられる

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"肥後菊五間花壇"は 花壇全体をひとつの作品として鑑賞する

いろいろ仕立ての意味があるが ひとりだまって見ているのが いちばん良い


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熊本城の石垣に 伝統の花々は よく似合う



神風連の乱

江戸城が無血開城され 篤姫が大奥整理に忙しかった頃 実は 旧幕府派の抵抗が まだまだ続いていた

上野の山には彰義隊が篭り西郷隆盛が攻めていたし(上野戦争) 長岡藩では強力な反政府活動があり(北越戦争) さらに白虎隊を有する会津藩の抵抗(会津戦争) さらには土方才蔵 榎本武陽らによる独立運動(函館戦争)など 鳥羽伏見の戦い以来ずっと抗争は続いていた(戊申の役)

明治元年の日本は まるで現在のアフガニスタンかソマリア状態 であったんでしゅな


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一方 肥後藩では廃藩置県に伴い 熊本城に熊本鎮台が置かれていた もちろん当時は城郭があり 本丸周りは櫓が林立していたため 比較的広々とした二の丸にその本営はあった

戊申の役の後 関東以北が平定され 岩倉使節団が外国視察に出かけその間 政府の改革が休止したこともあって しばらく国内は静けさを取り戻していたが 明治4年の廃藩置県で禄を奪われた 特に 九州の旧士族 (薩摩以外の)には 不平不満が鬱積していた

明治7年には 江藤新平が佐賀の乱を起こすが すぐに鎮圧された

廃刀令(明治9年)が発布されるに到っては まさに武士の心までも奪われることになり ついに ここ熊本でも怒りが爆発した


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1876年(明治9年) 10月24日深夜 肥後藩の旧士族 太田黒伴雄率いる神風連の志士約170名は 藤崎八幡宮に集結 祈願の後 いざ討ち入りせん! と神棚を先頭に粛々と行進していた

おのおの方~ ! 行く手は熊本鎮台・・  < ♪BGM 赤穂浪士のテーマ >

明け方近く 鎮台司令官 種田邸を襲撃 種田政明を殺害 その後 県令 安岡良亮 も殺害した


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神風連の志士は 勢いに乗って熊本城ニの丸の熊本鎮台の砲兵営に突入 ここを占領した

しかし 夜が明けて政府軍の鉄砲による大反撃を受け 一日にして制圧された

反乱軍のほとんどは討ち死にまたは自刃したという


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これに呼応して 福岡では秋月の乱 山口では萩の乱が起きるが いずれも鎮圧された

しかし これで士族の不満が納まったわけでもなく やがて西南戦争へと繋がっていく・・


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古戦場の夕暮れ


後 話

神風連が司令官邸を襲撃した時 種田政明は愛妾と一緒に寝ていた ( らしい・・ ) 
その具体的な表現は避けるが 手傷をおった愛妾の小勝は東京の父親に電報を送った
「ダンナハイケナイワタシハテキズ」
これが電文の好例と新聞に紹介され 電報の普及に貢献した という