辛亥革命において 中心人物となったのは 孫文 でなくて この 袁世凱 (えんせいがい) ではなかろうか と 私は思う
1859年生まれの彼は 清朝の軍に身を投じ 当初は 朝鮮半島で活躍した しかし 日清戦争で大敗し 軍隊の近代化の必要性を痛感し その後 清軍の洋式化 近代化に尽くした
やがて強力な軍隊(北洋軍)の指導者となった 袁 は 清朝の命令には従わず 勝手に列強と盟約を結んだり 地方軍閥と協調したり その実力がだんだんと 目にあまってきた
辛亥革命が勃発し 革命派が優位な情勢になると 清朝は 仕方なく彼を 内閣総理大臣に任命し 反乱軍を鎮圧させようとした しかし 形勢不利を確信した彼は 命令を受け流し 革命派と裏交渉を続けながら 自分の軍隊を保全し 孫文らの 中華民国の設立を 黙認していた
その後 自分が中華民国の実権を握れる可能性がある と見るや 強権をもって 弱体化した清朝の皇帝に退位を迫り 政権を消滅させた
ここに 1912年2月 秦の始皇帝以来2000年続いた皇帝政治は ついに終了したのである
1912年3月 袁世凱は 孫文の後を継いで 中華民国 第2代臨時大総統に 就任する
彼は 軍事力を背景に 総統の権限を強化し 反対する政敵を押さえつけた 議員内閣制で国民の人気があった宋教仁を暗殺し 孫文を国外へ追放した
さらに 専制色を強める 袁世凱 は 1915年 帝政復活を宣言 自ら皇帝に即位し 国名を 中華帝国 と改めた
しかし さすがに これは 時代錯誤である と 国内外よりいっせいに非難され 一年足らずで退位 その後 彼は 失意のうちに 病死した
袁世凱は 武力を背景に 清朝の指導部 および革命派 さらに外国列強と渡り合い 最終的に 帝政を終了させ その後 選挙により 初代の 中華民国大総統に就任している(臨時ではない)
何回も失敗し 他力本願で なんとか臨時の大総統になった 孫文 とは 建国での目立ち度が 大違いである
しかし 現在 台湾 中華人民共和国とも 袁世凱は悪役であり 時には漢奸(裏切り者)とまで言われている
孫文を弾圧したこと 革命で成し遂げた共和制を帝政に戻したこと が その理由だそうだが・・
たしかに 権力を得るためには 手段を選ばない 裏切りと強権のみの行動では 当時はもちろん 後世からも評価は得られない
せめて 武士道とまでは言わないが 袁世凱に 儒教に基づく 義 の心が 少しでも あったなら
今頃 孫文に替わって 英雄であったかもしれないのに ・・・