G3は今日も元気

典型的な団塊オジさんの自己満足的日記・・早期退職して悠々自適なのだ・・内容は・音楽雑論、マンドリン、二胡、百名山行、花と菜園、旅あるき、原子力と放射線、別荘暮らし、熊本で介護、猫の石松など・<府中市在住> リンクフリー

烏山頭 (MCK台湾遠征 No.19)

台南の北 烏山頭 というところに 湖が あり そこに 観光に 行くことになった

ここは 戦前 (当然 日本統治時代) 水資源確保のため 日本政府により建設されたダム

これにより この地方一帯は 広大な荒地が 台湾有数の穀倉に 変貌したという

ダム付近は 手入れされた公園風 レストランや ダム建設の 資料館も ある

ダム建設の英雄として奉られているのが 日本の技術者 八田与一

台湾については よく調べたつもりだったが 私は この人を 知らなかった

資料館では 長年の 難工事の 様子を 映像や 展示で 詳細に 紹介している

当時 日本は 台湾を植民地でなく日本と同一と考え 教育 産業振興に力を入れていた

日本が 撤退した後 台湾での 劣悪な 行政の歴史を 考えると

統治時代のほうが よかった 本土なんかより 日本のほうが 好きだ
 
こういった統治時代のインフラを大事にし 日本人を尊敬している人(いわゆる 愛日家!) が多い 所以

我々 日本人も こういった愛日家に対して 何か 応えてやらねば ・・



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八田与一は ダム完成後 陸軍に徴用され 1942年フィリピンへ調査に行く途中 船が アメリカ軍の潜水艦に撃沈され 死亡した

日本の敗戦後 日本人は 総て帰還命令が出たが 八田の妻は これを拒否し 烏山頭ダムの取水口に身を投げて後を追った


烏山頭ダムは 当時も 世界最大級の規模を 持つダムであったが 堰堤は コンクリートを使わない方式 であるため

土砂の堆積が 少なく 同時代に 作られたダムに 比べ 今でも 十分 機能を 果たしている


ダム建設の功績で 村人たちが 銅像を建てたい と申し出た時 与一は 拒否したが どうしても作る というなら・

「威厳のある服装で 村民を見下しているような像 だけは 止めてくれ!」 と言ったという


銅像は 戦争中の 金属徴用や 戦後 蒋介石の 排日工作で なんども 消滅の危機が あったが

そのたびに 村人たちがこっそり隠したりして 守り抜き 今 日治時代の銅像 としては 台湾で唯一のものである


八田の死後 村人たちは 台湾では手に入りにくい御影石で 日式墓を 烏山頭ダムの地に 建設した

さらに 最近では 地元の水利組合により 八田氏関係の 資料を 納める 三層円形の 豪華な 資料廟も 建設された


八田の命日の 5月8日には 毎年 盛大な慰霊祭が 開かれる 台湾総統 馬英九も ここの公園化整備に 協力するという

台湾の中学教科書にも 載っている 歴史上 尊敬される人が 日本の 一技術者 である ことは うれしい



"昔 こういう日本人がいた" ということを 日本でも もっと知って欲しい ・・ と つくづく感じる










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