fc2ブログ

G3は今日も元気

典型的な団塊オジさんの自己満足的日記・・早期退職して悠々自適なのだ・・内容は・音楽雑論、マンドリン、二胡、百名山行、花と菜園、旅あるき、原子力と放射線、別荘暮らし、熊本で介護、猫の石松など・<府中市在住> リンクフリー

宮崎家

27宮崎家04 27宮崎家05


熊本県荒尾市 JR荒尾駅の近くに 宮崎兄弟資料館がある ここは 宮崎稲天が生まれた家でもある

宮崎兄弟は 八男の稲天だけでなく 各々 明治の激動の舞台で活躍している

以下 資料館の展示に基づいて 宮崎兄弟の生涯を説明する



27宮崎家01 27宮崎家02 27宮崎家03

宮崎 八郎 (1851~1877)  自由民権を勧め西南の役に散った天性の革命児

1864年父と長州征伐のため出陣の際元服 時習館に学び 明治3年上京遊学 しかし東京で感じたものは明治新政府の専制政治への怒りと独立国日本の将来への危機意識であり 6年 左院に征韓の正当性を建白し 第二の維新のリーダー的存在となる 反権力の思想を積極的行動に傾けた時 見出した中江兆民訳の「民約論」に感銘し 8年自由民権思想を掲げた植木学校を設立 あわてた県は わずか半年で閉校を命じた "西郷に天下を取らせる" ため 民権党の同士たちと西南の役で共同隊を組織し戦うが 4月6日ついに八代萩原堤で戦死 時に27歳 自由と平等を愛する兄弟の精神的原点となる


宮崎 民蔵 (1865~1928)  土地復権を生涯の使命とした人

明治18年上京して中江兆民の仏学塾に入った 程なく病のため帰郷 農村の貧しさを見て土地制度に疑問を抱き 天造物である土地の所有は人類の基本的人権のひとつではないかと気づく その後土地の平均再配分を我が使命とし 30年欧米諸国の遊説の途につく 識者と論じ4年後に帰国 35年同志と共に土地復権同士会を組織したが 43年大逆事件が起こり 国内での運動は中絶 45年 " 平均地権 " の思想を同じくする 孫文 の新生中国の誕生に土地復権実現を託して 大陸へ渡った 孫文の死の床を見舞った後も 復権運動の資金獲得に専念したが成功せず 64歳で永眠


宮崎 禰蔵 (1867~1896)  理想の国を中国革命にみた思想家

明治18年大阪・東京に遊学し 21年熊本市藪の内(現 ホテルキャッスルあたり)に住み病気療養の傍ら 民蔵 寅蔵 友人たちと哲学 社会問題などを激しく論じ その会合は"藪の内組"と呼ばれ 警戒された 禰蔵は 中国を本拠地とした革命によって理想の国を築くことを願った そのため 自ら中国人になりきり 横浜の中国商館で頭髪を剃り 名も管仲甫と称し中国の言語風俗の研究に励んだ 29年孫文一派の陳少白と出会い 宿願達成の端緒と狂喜したが 無常の病に倒れ 「大丈夫ノ真心コメシ梓弓放タデ死スルコトノクヤシキ」 の辞世を残してわずか30歳で長逝



稲天の兄貴たちも 多士済々だが その子孫にも 実は まだ ここで言いたい 人物 が いる
 
それは いずれ ・・













コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://gedano.blog92.fc2.com/tb.php/795-58d67b60
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)